危険な目にあわせる人  の続きになるが

夫は運が強く生への執着が強いのかもしれないと書いた。



夫は東北の震災の時、たまたま出張で東北に行っており地震に遭遇した。

その時の様子を、目を輝かせて話す。

「ちょうどお店の中にいた。女性の店員さんは腰が抜けて動けなくなっていた。天井が落ちて来る危険を感じて僕が手を引っ張って外に連れ出してあげたんだ。感謝されたよ。」

と自慢気に話す。


確かにその行動は良かった。

普段の夫はフェミニストぽく、紳士的、優しそうな雰囲気なので、そりゃ感謝されただろう。

そうで無い人よりそこはずっと良いし、裏の人格があっても、良い面はある。それが本質の部分になってくれたら良いのだが、もしそれが、家族だったらどうだったろう。

見捨てて逃げたのはないかと思ってしまう。


自分がいかに活躍したか、自分がいかに大変だったか、被害の様子よりも、自分がした体験は凄い事だ、という自慢にすら聞こえて、途中からうんざりした。

自分も似た様な体験があるし、親族も被災体験があって、災害にあった人にしかわからないみたいよねみたいな話になると、

「僕の方が大変だった」という言い方をして、言い負かそうとする。

こんな話まで競うので、馬鹿馬鹿しい。誰でも大変なんだ。そうじゃなくて「僕はたいした事はなく、帰る家もあるからずっと幸せだ。地元の被災した人達に比べれば全然どうってことはない」というのが真実だろう。


他の地方の地震災害にあった友人などにも、心配の連絡をしたかと思えば、相手の様子を聞いているふりをしながら、上から目線で自分の被災体験アピールばかりしている。


普段の会話でも似た様なもの。

その時の主人公は夫ではない。が、「僕は」「僕の時は」と割り込み、会話を奪う。

話題は自分の事ばかりで、その場をしらけさせている。本人は自己アピールに満足して、冷え切った雰囲気に気がつかない。



その前の新潟中越地震の時も、出張中の新幹線の中で地震にあい、何時間も閉じ込められたと、得意気に話していた。

その災害の大変さを伝えるわけではなく、面白い体験をしたぞみたいなノリで話す。
聞いてて不愉快になる様な、被災した事を自慢している様な、嫌な話し方なのだ。
話の表現が下手なのだろう。その上、人間性がでてしまう。

当時私の職場の人のご主人も出張で東北に行かれており、津波で亡くなられていた。

その人が聞いていたらきっと不愉快に思われただろう。

自分が無事であれば、結局夫にとっては他人事なのだ。

本当に生死の危険を感じたり生活の場を失ったりした人の立場はわかっていない。パフォーマンスだけだ。

夫の行動を考えると、これまで無事に来られたのが不思議なくらいだ。

私はいつもどこかで、何があってもおかしくないと覚悟をしている。

当の本人は、残された家族がどんな後始末をさせられるかなんて全く考えず、好き放題、だらしなく問題山積だろう。

そんな事も含めて、毎日無事を祈るしかない。


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