りんごの嘆き

人生をとっくに半分過ぎて振り返る。主婦りんごは嘆いてばかり。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わろう。

大阪の地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。


昨日、体調が急におかしくなり、一日休息して過ごした。
平衡感覚が狂っていたのだが、身体全体の状態も普通では無かった。

体温が低いまま、身体が冷たい。くびがぐらぐらする感覚と足に力が入らない感覚。

薬を飲んだら、一日中眠くてたまらず、逆にそれで休めたので今朝は嘘みたいに元に戻った。

1年に1度はこういう日がある。耳や目の疲労だとは思うが、以前からいろんな不定愁訴があって、病院にもあちこち行って、異常なし。

更年期障害もあると思うが、元々体質的に自律神経が弱いのだと思う。
それに自己愛君へのストレスで悪化しやすい。

気圧の影響も受けやすく、昨日も気候のせいかなと思っていた。
それで今朝の地震。

私も昔、大きな地震を体験した事がある。その時も昨日と似たようなふらつきがあった。あのいやーな感覚、似ている。

動物だから危険を察知しての事?まさかね。
ただの不摂生と老化現象だと思っているけど、一応言ってみた(笑)。

以前メニエール病もした事がある、あれは二度と体験したくない苦しさだった。
それ以来生活習慣を改めて発作が起きないよう、気を付けている。

☆メニエール病時の状態
●耳が塞がった感じが続いていた。
●考え事をしていたら、突然頭の中でプツッと何かが切れた感覚がし、目の前がぼやけて耳が遠くなった感覚。動悸がし、激しいめまいが起きた。
●睡眠不足が続いていた。
●心配事があった。
●パソコンで目を酷使していた。

バスの中で一回と、3年後に職場で再び一回発作がおきた。病院に駆け込んで、おさまったのは6~7時間後だった。全く歩けず、吐き気がひどかった。
頭の重さ、眼精疲労がおさまらず、目を動かすと気分が悪くなるので、運転も控えた。
しばらくは、足元がふらつき、力の入らない状態。不安感が残り、外出が怖くなる。

不安感をなんとかする為に心療系のクリニックにいき、軽い薬を少しだけ飲んでいたら回復。薬は持っているだけで安心。

完全に不安感がとれるまでには、年数がかかった。

その後は、頭位性めまい症はおきる事はあったが、メニエールに比べると軽く、回復は早い。

頭位性めまい症
●朝起きた時、頭を動かすとめまいが起きる。
●吐き気はなく、しばらくすると落ち着いてくる。
●内耳の中の耳石がはがれて三半規管に入り込んでしまう事による。
●ホルモンバランスの乱れ、運動不足などが原因、首を動かしたり、寝返り体操をしてはがれた石を流すとよい。

メニエール病も自律神経の異常が原因だが、交感神経が強くなっている時だそう。呼吸も浅くなっているとか。普段から心や体を落ち着かせるにも、腹式呼吸が良さそうだ。

私は最初、恐怖心とショックで過呼吸になっていると医師から言われた。過呼吸というより、自律神経が狂って、手足の冷え、動悸、血圧の上下が同時に起きたような感覚だった。


何回体験しても、嫌なものは嫌だ。めまいは恐怖心との戦いだ。体験した人でないとわからないだろう。


父の実家の相続問題だが、今年の初めから始め、半年過ぎた今、何も進まないどころか、一からやり直しになった。

相続については、どこのお宅でも関わる話だと思うので、これまでの経過を整理してみたい。


●相続財産=古い空き家、田畑、山林、墓、金銭は無し。
●資産価値=ほとんど無し。管理費で赤字。
●相続人=10+△人(何人か亡くなって、子、孫に権利がうつっている家もあり)
●管理人=父が兄弟全員から依頼を受けて、一人で管理していた。
●固定資産税=父が全額負担
●管理費用=父が全額負担、一部叔父

僻地という事もあり、ほとんどの相続人は、遠方の為、めったに訪問することなく、父だけが長年管理してきた。
誰も相続について触れることが無く、だらだらと月日が過ぎた。

父は自分が高齢になり、通えなくなった後の事を気にしており、管理の大変さ、体力、費用の負担の限界を書いて、全相続人に連絡したのだ。
「誰も相続希望する人がいなければ、自分が相続する」旨も伝えた。

●最初にした手続きの流れ
行政書士に手続きを依頼⇒戸籍謄本の収集、相続人の確定⇒相続についての父の手紙、遺産分割協議書、印鑑証明書の送付願い、交通費として幾らかの金額(郵便為替)、返信用封筒を付けて全相続人に送付

1人を除いて、すぐにそれ以外の相続人から、父に相続させる旨の書類が返送されてきた。


ほとんどの相続人から、「これまで(父)だけに管理を任せっきりきりだった事の御詫び。」
「経済的負担も大変だったろうに、長い間きちんと管理して頂いたおかげで、いつでも自分達が訪ねる事ができる。心から感謝する。」
と、お礼の品まで添えて送ってくださったのだ。

これまで不満さえ抱いていた父だったが、この意外な嬉しい反応には感激して泣いていたと母から聞いた。

が、ある相続人の一人が問題だった。
遠方にいる叔父なのだが、手紙がきて、父に譲る、と書いてあった。だが、肝心の書類が送ってこない。気持ちだけなら、相続人全員が父に相続させる事に了承していたが、書類がそろわず、そこから話が進まなくなった。

印鑑証明書の有効期間が3か月の為、父は焦っていた。


あくまで、父の場合の話であり、伝聞でまとめましたので正確さに欠ける事があるかもしれません。あくまで1体験談として参考になればと思います。

少しでも節約になればと思い、3月から野菜を育てている。

広い庭のあるお宅や自家菜園のある方が羨ましいが、狭い我が家の畳半畳ほどの庭に畑を作ってみた。

堅い地面を掘り起こし、買ってきた野菜の土と有機肥料を混ぜて、ふわふわに撒いた。

ど素人なので、プロの方や慣れている方から見たら、ダメダメな事ばかりだろうが、個人の趣味ということで、失敗覚悟でのチャレンジ。


3月から、苗を植えたり、種子をまいたりした。

虫が寄ってくるので毎日、見張っている?(笑)


今年は、温度が不安定なせいか、これまでなかなか大きくならなかった。


最近暑い日が多くなり、梅雨とあって、やっと実が成りだしホッ。


一番助かるのは、サンチュだ。IMG_3238
葉の大きさは小さいけれど、美味しく感じられる。


苗を植えてから毎日の様に数枚の葉を食べられる。おかげでちょっとサラダを作りたい時などに助かっている。

3月から今日までまだまだ葉が次々と増えている。


他には、ミニトマトも次々と実がなってきた。収穫までもう少し。苗から漂うトマトの香りが懐かしい。
ししとう、ピーマン、インゲンも植えた。スナップえんどうは、先月から食べている。


狭い場所なのに、こんなに植えられるとは思わなかった。
こんな狭い所で野菜なんて作れるはずがないと思い込んでいた。

私の悪いところだ。

「有難う」と、野菜に毎日話しかける。
頂く時は、感謝しながら。今までこんな事なかった。

生きていくってこんなに大変なんだと最近感じてばかりいる。

植物からも教えられている自分。


感じる事☆植物は正直。環境、手のかけ方で出来が違う。過保護もダメだし、加減も必要で、子育てと同じ。自然は偉大だ。

米朝首脳会談、成果が何だかはっきりせず、もやもやする。


拉致問題についても、具体的な話の内容がわからずやきもきしている。


拉致と言えば、私の実家の近所のお宅のご長男、高校の先輩の親族の女性も拉致されたまま帰ってきておられない。


ご家族は長い間解決に向けて必死の活動をしておられる。
身近に2人も拉致された方がいると、当時の我が家だって被害にあっていたかもしれないと思えてくる。


思い出せば幼い頃、噂があった。

「新婚旅行中に花嫁さんが突然いなくなった。朝鮮に連れ去られたらしい。」
「海岸で遊んでいた人が、朝鮮に連れていかれたらしいよ。海に行くときは気を付けろ」

と言われた事を覚えている。


当時の自分は幼かったし、まさかそんな事あるわけない、ただの噂だろう、と聞き流していた。
でも、「さらわれる」という事そのものに、かなりの恐怖心を感じた。


今思えば、それは正しい情報だったわけで、子どもの私にさえ耳にする程、真実が知れ渡っていたという事になる。
拉致が行われていた最中のかなり前の情報なのに、当時の国は何をしていたんだろう。


当時、母親が毎朝見ていたワイドショーでは、「行方不明になった子どもを探すコーナー」みたいなのがあって 「 この人を探してください!」「○○ちゃん、帰って来て!  」と毎日次々と必死で訴える親族の姿を流していた。


こんなに家出人、行方不明の人が多いのかと、子どもなりに驚いていた。


その頃、テレビで訴えていた方の中に、後に拉致されていたとわかった親族が結構おられたように聞いた。


拉致されるなんてどれだけ恐怖だろう。絶望を味わった事だろう。
探された家族のお気持ちも想像を絶する。


それにしても、時間がかかりすぎる。ご家族も高齢になられ、本当に一日も早く解決してほしい。


今日の自分へ☆事故にしても、殺人事件にしても、災害にしても、明日自分はどうなるかわからない。今日無事に過ごせたら、寝る前に感謝しよう。


先日の新幹線での事件、やりきれない。誰もが他人事ではないだろう。

新幹線で堂々と痴漢する奴もいる。友人が被害にあった。

サラリーマン風の男性が、席はガラガラなのにわざわざ女性の隣に座ってきて、寝たふりをし、手を動かしてきたらしい。


新幹線も決して油断できない空間だと思う。

国はもっとこういう事の対策にお金を使って欲しいものだ。

そう言えば、夫が、以前こんな事を言っていた。


「出張で東京に行った時、駅の近くの路地で、知らない男にいきなり後ろから棒状の物で背中を突かれた。振り返ると普通のサラリーマン風の男が怒った顔で立っていた。抵抗しようかと思ったが、何をされるかわからないので逃げた。」


それを聞いた時の私は、(彼が何か怒らせたのではないか?)と思ったりしたが、「むしゃくしゃしていた。誰でもよかった。」といって行動する人もいるのだから、理由なく突然!は、ありえる事だ。

その棒が、もし危険な物だったら?ぞっとする。

大騒ぎになって、ニュースになって…。

警察やマスコミから連絡が来て…と我が家は混乱していたのだろうか。

それ以来、何か事件があると、もしかしたら…と一瞬思ってしまう。

恐い世の中になったものだ。自分も子どもたちも、いつ何があるかわからない。


今日の自分に言いきかせる事!☆毎日、今日も無事に帰ってこれますようにと祈りながら、家族を見送り、自分も気を付ける。一日を大事にしよう。

その後、O恵から手紙が何度か届くようになった。


お金の話が多かった。

近所の旦那さんの収入がうちより多いとか、株を買ったとか。
専業主婦で、財テクに励んでいるようだった。


「私の貯金も増えてきたの。絶対生活費には使わないわ。私のお金は私のものよ。主人のお金も私のものよ。お金は全部私が握ってるの」

と書いてあり、一流企業で高収入だからこその財テクが出来て、家庭もうまくいっているんだなと感じた。

我が家の様に、夫の不安定さで、生活の不安なんて全くありえない世界にいた。
しっかり働いてくれるご主人は責任感が強く、後は人生の計画通りにいかに夫婦で頑張るかという意気揚々とした生活の様だった。

そして、一週間に一度は実家に帰って、息抜きしているとの事だった。

結婚の条件をそのまま実行し、ご主人は何も言わず自由にさせてくれていると。
その分、O恵も実家もご主人を大事にしているのはわかる。

その頃の私の生活ぶりなんて、とてもO恵に言えるものではなく、返事には自分の事は書かなかった。我が家の実態を彼女が知ったら、今でも理解できないだろう。そして私に言うだろう。

「どうしてそんな人を選んだの?周りの評判とか収入とか調べなかったの?」と。

彼女が羨ましすぎて、夫に話して反応を見た事がある。

「友人は、実家の近所に住んでいて一週間に一度は帰っているんだって。いいよね~」
と言ってみた。

すると夫は
「何て我儘な嫁なんだ。信じられない。旦那さんはよく黙ってるな。」
ときた。
そして、「エリートとか一流企業なんか僕の友人は皆そうだし、たいした事ないよ。」とひがむ。
自分は気が付いてないのだろうが、とにかく僻みっぽく、嫉妬深い。
なら自分はどうなんだと言いたくなるのをこらえる。

自己愛君は、「妻の実家が旦那を大事にするのは当然のことで、旦那の実家は妻を大事にする必要はない」という姑の考えをそのまま信じている。
自分の考えが無く、ほとんど親と兄から言われた事だけを自分の考えとして言うので、違和感がある。

彼女のご主人と自己愛君では、一家の長としての行動は、天国と地獄の差ほどある。

細かい色々、夫婦しかわからない問題はO恵の家庭にもあるだろうが、それでも、最低限の責任も義務も果たしてない自己愛君に比べれば雲泥の差。


残念ながら私にとって彼女はそういった自分の生活ぶりを話せる友人ではなかった。


その後、年賀状や葉書で連絡がきていたが、順風満帆な結婚生活を過ごしているようだ。

遠く離れた土地から、彼女の幸せが永遠に続きますようにと祈っている。


O恵から学んだ事!☆結婚する時は、自分に正直に、しっかり相手を見て自分が納得できるまでよく考える。(私はもう手遅れだけど)

手紙には、お見合い結婚だったと書いてあった。

やはり相手に対する条件は(懲りずに?)しっかりだしたそうだ。

「あれから、なかなかぴったり合う人が見つからなかったの。主人は長男という事以外、条件にぴったりの人だったのよ。だけど長男でも、実家は遠いし、弟が跡を継ぐから老後帰る必要もないと言われて決めたの。」

ふむふむ。素晴らしいじゃないか。信念を変えず、自分の将来の為にしっかり結婚を考えて居る。

ちゃんと見つかるものなんだなあ。


あれから何年たったかなあ。焦らず探したんだな。


「結婚式は高級ホテルで、ウエディングドレスは桂由美、パールのネックレスは田崎真珠でと思っていたんだけど、現実は、近所の神社で式をあげ、披露宴はレンタルのドレスで地味にやったわ(笑)」と書いてあるのを見て、ほほえましかった。


地味で堅実な人を選んだのかな、今度は大丈夫だよねとO恵の幸せを祈った。


その頃の私はというと、自己愛強い夫に強い違和感を感じ始め、結婚した事に後悔し始めていた。

子どもが生まれて、知らない土地で孤独感で心ががんじがらめになっていた。

しっかり納得のいく結婚を焦らず決めたO恵に対して、自分の現状なんて話せるわけはなく、惨めな気持ちと孤独感で益々落ち込んだ私。

良く考えず、何となく流されて結婚したからこうなるんだと自分を責めていた。


若さゆえ?のいい加減さが原因なのだから、自業自得だった。

何て思われようと、失敗しようと、しっかり自分の人生を大事に考え、じっくりと選んだ相手との結婚をしたO恵を、尊敬した。

O恵は自分を大事にしているのだ。自分が納得いける生き方、自分が確実に幸せになれる様に良く考えていた。自分を素直にだして、自分らしい結婚を選んだのだ。

私は、自分を大事にしていないのかもしれない。どこか人の犠牲?(と勝手に思う)になる、人に尽くすのが美しい生き方みたいに間違った結婚観を持っていたのかもしれない。

後から後悔する位なら、我儘だと言われようが、「私はこうでないと嫌なんだ」と言い張る位の勢いでちゃんと考えるべきだった。

☆自分を大事にしていないから、自分が一番大事という自己愛の強い人を引き寄せてしまうのか。

自分なりに分析していくと、自分の育った環境にも原因があるのかもしれない。


O恵の話は続く。


「私は周囲から祝福されて会社も辞めたのよ。今更結婚をやめるなんて事できない。何故、嘘をついていたの?ひどい!」


O恵は、怒りで一杯になり、婚約者に詰め寄った。


「私は絶対同居しませんと最初に条件にだしていたはずです。それをあなたが承諾したからお見合いしたのです。今更困ります。」



「破談だなんて、世間体が悪い、O恵は仕事も失ったんだ。どうしてくれるんだ。同居をやめてくれるなら、嘘ついた事は忘れてやるから、考え直さないか。」

とO恵側の親族も詰め寄った。

O恵に同居を承諾するように説得したところで、そんな事で結婚してもうまくいくわけがないと親族の誰もがわかっていた。
紹介した人も、責任を感じ、嘘をつかれた事に怒っていた。


そんな中、婚約者の返答はこうだった。

「僕は母親と同居したいのです。母の意志というより、僕の意志です。母を見捨てられません。それがかなわないなら、この話は無かった事にしてください。」


と、むしろ本人の同居の意志が強かったそうだ。

結果、式の直前に破談が決定した。


「相手の本音が結婚する前にわかって良かったわ。世間体は悪かったけど、自分の人生がかかっているのだから、これで良かったと思う。」

とO恵は気持ちを切り替えた様子だった。


そして
「今回の件は、勉強になったわ。」


「文系の人はだめね。次は理系の人にするわ」

という事だった。O恵のユニークさはそのまま変わっていなかった。(笑)


それからO恵は再就職して、時々私のアパートに遊びに来るようになった。

一緒にプロ野球観戦に行ったり、お互いの仕事の話をしたり、婚約破棄の件以来、彼女は私に親しみを持ってくれる様になった。


O恵は何か鎧が抜け落ちたみたいだった。



「ブランド品なら何でもいいと思っていた。今は違う。丈夫で使い易いのが一番ね。以前の私は子どもだったと思う。」
と言いだした。



ほんの1年のうちに、一緒に会社にいた時よりもずっと話しやすい大人の女性になっていた。
顔つきまで変わって笑顔が増えた。


その後私は結婚し、東京を離れ、O恵と会う事もなくなった。


私の第一子が1歳になった頃、O恵から手紙が届いた。



「私、結婚しました!」
と書いてあり、結婚式の写真が同封してあった。

後にO恵から直接聞いた破談の理由は、こうだった。


結婚式の打ち合わせでO恵と婚約者が会う回数が増えてきたのだが、会うたびに相手の様子がおかしくなった。

心ここにあらず、表情も暗い、結婚する気がないのでは?と思えるほど。


何か心配事でもあるのでは?と問いただしたところ、


「結婚の条件の中に、”実家の跡を継がなくてもよい次男である事”というのがありましたが、実は、結婚したら母と同居する事になっています。
兄嫁と母の折り合いが悪く、母は兄夫婦を追い出してしまいました。
母が僕が結婚したら同居すると言いだし、僕は承諾しました。
母が楽しみにしているのを見ていたら、断れなかったのです。
ですから、母と同居してもらう事になります。これまで嘘をついていて、すみません。」

の様な事を言われたと言うのだ。
それからが大騒ぎ、大変だったそうだ。親族や紹介した人などを巻き込んで、彼は責められたことだろう。

この男性はおそらく、最初は嘘をついたまま式をあげてしまえば何とかなる。O恵は諦めて同居に応じるだろうと思っていたのだろう。それだけO恵を気にいったという事かもしれないが。

だが、O恵と接しているうちに、彼女が、自分への愛情は抜きで、結婚の条件への信念の強さをひしひしと感じたのかもしれない。

O恵は、「義親と同居なんて絶対嫌だ、そんな人とは結婚しない。失敗したくないから、条件をはっきり出して相手を選ぶ」と言ってた人だ。

そんな彼女への後ろめたさに悩んでいたのだろう。それが表情や態度にでたのだ。結局嘘をつけない人だったという事だ。

その点、うちの夫は嘘をつくのが当たり前すぎて自覚がない。この婚約者の彼くらい、態度にでたり、後ろめたさをだしていたら、私も気が付いたかもしれない。
夫なら平然としていただろう。

後から嘘がばれても、誰かのせい、何かのせいにして終わりだ。

それにしても、O恵は、式の前に正直に話してもらえて良かったと思う。

その時招待状はまさに投函寸前だったそうだ。


教訓!☆最初は軽い嘘でも、嘘に嘘を重ねていくことになり、やがては相手だけでなく被害は広範囲に広がっていく。嘘はつかないに越したことはないが、小さいうちに正直に打ち明けて、謝る。早ければ早い方が傷口が小さい。


当時の私は、結婚なんて全く頭になく、まずは仕事優先で、そのうち好きになった人と自然に一緒になるものと思い込んでいた。


相手が恋愛対象でないのに、条件さえあえば結婚できるという感覚が不思議だった。


そうはいっても、O恵にとっては生理的に嫌な相手ではなかったのだろう。一緒に暮していけるという気がしたから決めたのだろう。

当時の私にしたら、そこまでして焦って結婚する気持ちがわからない…という気持ちだった。

O恵が以前私にぽつりと言ったことを思い出していた。

「恋愛した事ある?私、無いの。男の人とお付き合いするってどんな感じなのかしら…」

「これからいっぱいチャンスはあるよ!沢山恋愛を楽しもうね!」と一緒に笑ったのに。


私は「もっと独身生活を楽しんで、恋愛して、結婚はそれからでもいいんじゃないの」と言いたかったが言えなかった。

私と彼女は世界が違うんだ…と思った。



その後、結婚式の案内状は、式の1週間前になっても届かなかった。

誰にも届いてないようだった。

どうしたのだろう、事情を聞くわけにもいかないし…と社内で招待される予定の人達で話題になった。


「何かあったのだろう。病気とか、相手の突然の転勤とか…。」
「そのうち連絡がくるだろう」と、黙って待つしかなかった。

結婚式予定日の前日、O恵の直属の上司だった人に彼女から手紙が届いた。

上司がその内容を教えてくれた。


「式の直前になって、急きょ破談になったらしいよ。」

と聞いて驚いた。


自分に言いたい事!☆人は人。自分が正しいわけじゃない。考えを押し付けてはダメ。

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