りんごの嘆き

気が付けば人生の後半もだいぶ過ぎた。主婦りんごは嘆いてばかり。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わろう。

市役所の受付で、相談内容を伝えると、こちらへどうぞと奥の部屋に通された。


Aさんと子供さんと一緒に部屋に入った。


子供の遊ぶコーナーがあり、そこで私は子供さんを見ながら時々相談に加わった。


相談担当の女性は二人。40代と50代位か。



二人は優しくうなずきながら、Aさんの話に耳を傾ける。ノートに記録を取りながら。


「よく、相談にこられましたね。DVにあっている方は、なかなか被害者という意識が無くて、我慢されている人が多いんですよ。」とAさんを労った。




「いえ、私も自分がDVにあっていると知らなくて、自分が悪いのかと思い、一人で悩んでいました。離婚なんてできる訳ないと思っていましたし、考えてはいけないと思っていました。人に相談してここまで来れたのです。」

とAさんは答え、相談員の方は、私の方を向いて「よくぞ、ここへ連れてきてくださった」と頭をさげた。


この時すでに、Aさんは実家に帰っており、これからどうすれば良いのか、スムーズに離婚できるのか、今後の生活の不安などを相談していた。


実家は、同居する余裕が無く、反対を押し切って結婚した事もあり、これ以上甘えられないと言っていた。

親の見る目が正しかったという事か。確かになあ。親の反対を押し切っても結婚したいと言われると、益々燃え上がるものだからね。


私も、もし反対する人がいたとしても、素直に聞かなかったかもしれない。



自分だけは大丈夫って、こんなに愛されているのだからって、誤解してしまうんだよね。



 伝えたい事!一人で悩まず、身近な人に相談しよう。市役所でも相談窓口がある。

数年前だが、結婚して子供さんを出産したばかりの若いママさん、Aさんから相談を受けた。

Aさんは、結婚してから、ご主人の理不尽な言葉の暴力に苦しんでいた。


妊娠中も、ちょっとした喧嘩で、蹴られそうになったりしたという。


ご主人には、気分にサイクルがあり、典型的なDV男だった。


DVの3つのサイクル☆   

蓄積期(イライラが溜まりピリピリした態度)⇒暴力期(イライラがピークに達し、些細な事から妻に暴力をふるったり、暴言や嫌がらせをする)⇒ハネムーン期(豹変し、謝る。優しくして愛情あふれる行動をする)⇒ 繰り返し


Aさんは、DVという事をよく知らず、なぜこんなに自分が虐げられるのかが理解できなかった。ハネムーン期には、夫の言葉を信じて許し、期待するのだが、再び繰り返されるのでかなり参っていた。



最近になり、浮気の疑いもでてきて、旦那さんと喧嘩になり、暴力が怖くて実家に帰ったという。

家にいる時は、常に顔色を伺い、ビクビクしているとの事だった。


「子供も小さいので、自分さえ我慢すればよいのかとも思っている」と暗い表情だった。



「それはDVというものよ。あなたは悪くないし、我慢してはいけないよ。」と話して、今後の事を考える為に、市役所の婦人相談室に連れて行った。



 
 伝えたい事!☆それはDVではないか?被害者になっていないか?共依存になる前に誰かに相談を。

テレビで色んな悲しい事件や事故のニュースを見ると、巻き込まれた方々は「まさか自分が…」「せっかくの楽しい思い出がこれでぐちゃぐちゃになった」「あの時の姿が最後になるなんて…」など、そのショックはいかばかりかと感じる。

その災難を、直前まで誰もが予想していなかったはずだから。


自分だっていつ、何が起きるかわからない。


年老いた親との別れは、悲しく寂しいものであるだろうが、この歳になると心の準備もできる。


高齢で病死なら、天寿を全うしたと自分を慰める事もできる。


若い人の急死ほど残酷で、ショックな事は無い。


ましてやそれが我が子だったら。


色んなニュースを見るたび、我が事として思ってみていると、自分にとって、何が一番大切かがひしひしとわかってくる。

それは人によって色々だと思う。自分の場合は、今の家族だ。子供だ。


子供達との思い出だ。



結婚するまでは、親、兄弟が一番大切な家族だった。


今は、自分が産んで育てた子供達が家族。


両親も兄も幸いに今は元気でいる。
でもいつかは別れがくるんだなあと、年老いた親を見る度、寂しい気持ちにもなる。

その時、支えになるのが子供達だ。孫も加わる事になる。自分で作った家族だ。


そんな事を考えて居る時、夫の存在が頭をよぎり、憂鬱になる。


彼にとっては、今一番失いたくない、大切なものって何だろう。子供達との思い出もない、夫婦の思い出もほとんどない、家族一緒の思い出がない。良い時もあったはずだが、嫌な事が多すぎて記憶から消えてしまった。


夫婦で話し合って、子育てをし、一緒に生活を営んでいくはずだった。見事に裏切られた。


でも、私には、子供達がいてくれて幸せだ。結婚して良かったのは、唯一子供達との出会いと思い出が残ったこと。


子育ては苦労もあるし、どんなに大変でも、その思い出が自分の生きた証。思い出は宝物。

「たからもの」という言葉、何て素敵なんだろう。


夫に言いたい事!☆こんな素晴らしい宝物を手放すなんて、もったいない。これ以上の大事なものって何?自分の生きざまが最後に返ってくる。

           


パワハラ被害にあっている知り合いの若いママさんは、我慢の限界に達したようで、体調が悪くなり、精神科に通院している。


先日も、子供の運動会で仕事を休んだ事を、ネチネチ言われたようだ。

入社する前に、その男性は「学校行事を配慮します。気兼ねなく休んで良いから。子供さんがいる事を配慮するよ。残業もしなくて良いように」と言って、「ぜひうちで働いてぼしい」と誘ったのだ。


ところが、入社してみると、仕事内容も嘘、しかも、顧客の前で、彼女を馬鹿扱いする。
「こいつは、休んでばかりいて、その分残業しようともしない、無能な馬鹿なんですよ」とまで言われたそうだ。

彼女は、ずっと耐えていたが、さすがに辛さが表情にでていたらしく、その嘘つき上司から「何か言いたい事があるなら言え」と言われたそうだ。

彼女は泣きながら、全てを吐き出した。

すると、「やめたいんだろう」「今ならいいぞ」「仕事が難しすぎたのか。お前には無理だったようだな」
と、上司ははぐらかした。

彼女は、仕事の愚痴は言っていない。

上司の態度を話題にしているのに、上司は自分が悪いとは認めない。彼女が悪いという方向に持っていこうとする。

話せと言いながら、耳を傾ける気は無い。

おまけに、「お前も言いたい事を言ったんだから、自分もこれからお前の嫌なところを言うようにする」と言ったらしい。

こうやって、人が辞めていく。辞めるようにしむける。そして、自分の価値を自分だけが認める。

彼女は、いつでも辞められる。国家資格を持っているので、仕事はあるのだ。

ただ、今の仕事が好きで、早く覚えてバリバリ働きたいだけだ。

ここで辞めたら馬鹿らしい。確かに。


他にも、男性だったが、社長がごワンマンで、機嫌を損ねるとすぐに暴力をふるってくると聞いたことがある。「お前がダメだからだ。指導の為にやってるんだ」と言われるのだそう。
従業員は家族がいるし、簡単に転職できないから皆耐えていると。社長はそこにつけこむので、更にパワハラが悪化しているとの事だった。


私ならどうするだろう。パワハラの記録、録音などを集めて、然るべき公的機関に相談にいき、指導してもらうだろう。

パワハラの相談について

職場に近い労働局、労働基準監督署に行こう。総合労働相談コーナーかある。電話でも相談できる。

相談コーナーでは、説明がしやすいように、メモにまとめて行くとよいそうだ。

●パワハラを受けたと思われる日時
●受けた場所
●言われたり、強要された内容
●誰にされたのか
●その時見ていた人の名前など


私に相談してきたママさんは仕事ができる。だからこそ叩かれる。もっと酷いパワハラも世の中にはある。
公の機関に相談するだけでも違う。DVについても同じだ。泣き寝入りする時代は終わったと思いたい。

私は、彼女を応援していく。


パワハラをうけたら~☆証拠を残す。録音、録画、メモ、とれるものはとっておく。公の機関の相談コーナーに訴えてみる。

以前、体調を崩し、療養していた頃、故郷にいる友人からメールが来たので、「今体調が良くなくて…」様な内容を返信した。

色々心配してくれたのだが、最後に「早く元気にならなくちゃね。お母さんなんだからがんばらなくちゃね!」と励まされた。

励ましてくれる友人がいるのは、有り難い事で、友人も私の回復を願っての事だと頭では理解していた。

だが逆に、自分でも理解できない怒りに似た感情が残って、いつまでも消えなかった。


悪意も無い、良い友人だとわかっているけど、心は怒っていて、

「話さなきゃよかった。病気になったら母親として失格なのか?頑張っているじゃないか。頑張ったからこうなった。あなたも同じ目にあえばわかるのに」

といつまでも恨み言を心の中で呟いていた。ただでさえ、不安に押しつぶされ感情のコントロールができない時期だったからかもしれない。


こうやって、良かれと思ってかけたはずの励ましは、逆効果となり、傷だらけの心に塩をぬってしまう。

DV被害者が悪い訳では無いのに、「もう少し努力してみたら」とか「甘えじゃない?誰でも大変なのよ」とか「ご主人、大変ね。感謝しなくちゃね」とか「考えすぎよ」とかの励まし…残酷じゃないか。


話を聞いてもらって、心が軽くなる時もあるが、逆に後悔する時もある。

更に落ち込みがひどくなる。誰にも話せなくなる。
人の好意までも恨む自分を、何て嫌な人間なんだと更に自己嫌悪に陥る。

ほめてほしいんじゃない、慰めてくれなくてもいい。

聴いてもらえるだけでいい。


話の内容を信じてくれたらいい。信じたふりでもいい。という事だ。


大きな災害にあった友人に、別の友人が心配してメールをうった。


「避難中で、不安で一杯だ」という返事がきた。友人は、「しっかりしなくちゃね。がんばらなくちゃね」と励ましていた。よかれと思って誰でもそう言うだろう。

だが、相手はそんな事などとっくに自覚しているのだ。それでも不安なんだよ。遠くにいて何もできない人が言っても、それは他人事。

一緒にいて、一緒に被害にあっている者同士で、「頑張ろう」って励ます時だけが、一番気持ちに届くのだ。


相手の立場になって考えるって、難しい。

 

 教訓☆弱っている人には、余計な励ましはいらない。寄り添うだけでいい。

昨日は、知り合いの子供さんの運動会に呼ばれて、雲ひとつ無い青空の下、久しぶりに一日中太陽にあたってきた。


紫外線には要注意だけど、太陽の光には、人間を元気にしてくれる力がある。


疲れよりも爽快感が残った。
一生懸命走ったり、演舞する子供達をみていると、その純粋さに涙がでそうになった。


自分の子供たちの運動会は、父親不在だった。
夫は、おそらく小、中、高と一度も見たことはないだろう。


楽しみにしていたそぶりもなかったし、興味もなさそうだった。


当時は、私の親や知り合いの人が、わざわざ遠くから出てきて一緒に参加してくれた。賑やかに過ごせるようにと。

時には、私だけしか行けない時もあったが、いつも明るく、楽しくがモットーに過ごしていたので、それはそれで良い思い出にはなっている。


子供自身は、父親は仕事の都合で来られないと思っていたので、(別居する前から)気にしていなかっただろうが、一度もこないとなると、さすがに成長するにつれて、父親の冷たさに気が付いていたようだった。


運動会や、発表会は、親に見てもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命練習する無邪気さを子供に感じる。だからこそ、見ていて涙がでる。

その晴れの日に、できるだけ親は参加して、例え失敗してもいっぱい褒めてあげたい、と思っていた。



仕事の都合や、家庭の事情で、どうして参加できない方もおられる。


いつも思う。皆が全て同じで当たり前では無い。でも学校とか世の中は、皆同じというのが前提で物事を決めていく。

昨日も、賑やかで楽しいお弁当の時間に、ふっと思った。誰も来られない子供さんがいるかもしれない。学校はどのようにその子供さんに対応しているのだろう。


誰か一人でも、親戚のおばさんでもいい、来てほしいよなあ。


そんな事を、昔からいつも思っている。


自分の子供が、夫からこんな目にあわされるとはまさか思ってもいなかった。他の事情のある家庭とは違い、出来る事をやらない自分勝手な父親であり、私はそれが腹がたつのだ。


運動会に行きたくても行けず、後ろめたい思いをされている親御さんがほとんどなのに、行ける時もわざと行けないように作為をする父親なんているのか、うちにはいるのだ。


夫は、子供の気持ちを想像できなかったのだろうか。


まだ、素直に後悔していたり、申し訳なさそうにしているならまだ救われるのに。


夫は、自分が傷つけた相手の気持ちを知っても、何にも感じない。ただ自分に不満を言ってくる嫌な奴と思うだけだ。その内容には心を向けない。

もし行動を改善するとすれば、相手を傷つけたという反省や後悔からではなく、自分に不満を言われるのが面倒臭いので、相手を黙らせる為である。



当時の自分が思っていた事☆親は子どもの気持ちを想像し、できるだけ明るく賑やかな家庭にしてあげたい。ひがんだり、すねたり、コンプレックスを持たせない様に、天真爛漫に育てたい。その為には自分がそうやってみせることだ。


 

”怒り”はパワーになるのだが、いつまでも貯めていくと、自己嫌悪に陥ったり、周りに八つ当たりしてしまったり、自分の表情や言動が悪くなってしまったりして、後悔することになりかねない。


ある心理学者によると、「怒りの感情は、決して悪者ではない」という。


”怒り”は、本来人間という生き物が、心身を守る為に必要な機能 らしい。


でなければ、敵からやられっぱなしになり、生きて行けなくなるのだとか。


ただ、感情をコントロールしないと人を傷つけてしまうわけで、怒りに支配されないように対処の仕方を学ぶことが大事。

その対処方法とは、…「まず6秒、ゆっくり数えてみる。」だそうだ。
 

6秒待てば、怒りのピークが収まり、衝動的な行動は抑えられるという。


もし、モラハラされ、とっさに怒りがわき、言い返しても相手の思うつぼになる。
話が通じず、更に怒りやストレスを増大させるという悪循環になってしまう事を考えると、6秒待ってその場を流すというのは良いかもしれない。


しかし、その後、その抑えた怒りの感情は長く続くわけだ。

それを開放する方法はないのだろうか。


それもある学者の勧めでは「文字にして書く」ことが効果的らしい。

まず日数をかけて冷静になる。落ち着いたら「起きた事実」「どう怒りを感じたか」を書き出す。
これを繰り返す事で、自分の感情が客観視でき、怒りの整理ができるとの事。

先日、あるテレビ番組で見たのだが、眠れない時は、ノートや紙に愚痴を書き出すといいらしい。
試しに、不眠気味の奥さんが実験していた。1週間、どんな些細な愚痴でも良いから、ノートに走り書きしてからベッドに入っていた。
すると、段々、朝まで熟睡できる様になっていた。

寝る前に愚痴を書くと、興奮して眠れなくなりそうな気もするが、不眠やイライラが続く時は試してみようと思う。

                     

自己愛の強い夫だが、感謝している部分もあり、楽しかった時(わずかな)の事を思い出すと、なんでこうなったのだろうと虚しくなる。


「さあこれから、一緒に頑張って家庭を築いて行こう!」と思っていたところで、勝手な方向に行かれてしまった感覚。
人生計画も気持ちも滅茶苦茶にされたまま、今日まできている。


こういう事をするなら、なぜ結婚をしたのだろう?


夫は、欲しい物はすぐ買う浪費家だが、買う事が好きなだけで、買った後は、封も開けずに放置する。

結婚も同じなのか。



結婚するまでは、ストーカー行為に近い事もされたし、泣かれたり、それほど自分を必要としてくれるのかと熱心な言葉に動かされ、結婚した。


決めた自分の責任だから、人のせいにしても仕方がない。


私にはそういう弱さ、見る目の無さがあるのだろう。若かったので、自分の親への反発もあったかもしれない。


結婚するまでは「自分が稼いで家族を幸せにしたい」「家族で旅行したい、夢が沢山ある」「家族だけは絶対守る」「仕事より、家族を取る」などなど…私が望んだ訳でもないのに、その言い方は凄かった。


結婚したとたん豹変。

もしかして、あんなに調子の良い嘘をついていたのは、本心を隠そうと意識しすぎてたからじゃないか。奴がにやけて違和感満載で話す事は、その内容の反対の事が本心なのかもしれない。


結婚してもしばらくは、そんな人とは思わず、若い時は分析もせず、私は何かいつも不安感が襲っていた。

その不安感は、夫がモラハラで家族を不安にさせていたのだ。と今になればわかる。


自分が望み、かなった夢も、現実化するとそれが嫌だと逃げる人だった。


色々様子を書いていく事で、なぜそうなのか、どう対応したらよいのかを自問自答している。

もう手遅れかもしれないけど。残りの人生、もう犠牲にはなりたくない。


自分に言いたい事!☆今気が付いた事は良い事だ。これからは相手に振り回されないぞ。不安感は打ち消す事。不安が一番打撃が強い。

結婚する前に違和感を感じた事もあった人となぜ結婚してしまったのだろうと、思う。

前にも書いたが、その当時の自分の精神状態が弱かったからだと思う。

そして、今のように、DVとかモラハラの言葉すら世の中に認知されていない時代。


単なる性格、個性、誰にでも欠点はある。自分にだってあるし、いちいちこだわっていたら誰ともつきあえなくなる。自分は我慢が足りないのかもしれない、相手の良いところをみていけばいいじゃないか。

結婚に対して、そういう考えで踏み切る事が美徳みたいに思っていた。


結婚前に喧嘩して、もう会わないと言った後でも、夫はいつも何事も無かった様に笑顔で接触してきた。

無視して避けていても、友人に私の居場所をうまく聞き出して、いきなり訪ねてきたり。

ある時は、職場からの帰り道に、待ち伏せされたりした。

自分への愛情がそれだけ強いのだと思ってしまった。

その誤解がいけなかった。


今だからわかるのだ。私に愛情があるふりをしていたが、そうではなくて、その時は、私しか利用できる人間がいなかっただけだと。

そして、そこからが自己愛の強い夫の特徴なのだが、「相手がなぜ怒っているのかわからないふり」をする。

「そんな事を怒っていたのか。なあんだ。僕がそんな事言ったっけ。覚えてないなあ。どうかしていたんだ。自分で自分が嫌になるよー。あの時は、仕事のストレスがたまっていて~」

みたいな調子の良い事を並べて、笑顔で上手にごまかす。

「もうそんな馬鹿な事しないよ。」と言うので、信じてしまう。

が、それは嘘で、再び同じことの繰り返し。

モラハラ、DVをする人は、サイクルがあって、相手を傷つけた後に必ずこういった甘い態度でごまかす為、被害者は沼にはまっていく。

   ☆DVのサイクル

蓄積期=ストレスを溜めている時期(相手が自分の思い通りにならなかったりしてピリピリと神経質になっている)⤵

爆発期=突然爆発し、ストレスを発散する。暴力をふるったり、自分の支配下に置くようコントロールする為に、恐怖心や無力感を植え付ける。⤵
   
安定期(ハネムーン期)=ストレスが発散され、安定する。謝ったり、プレゼントをしたり「もう二度としない」などと謝ったりする。再びストレスが蓄積され始め、次の蓄積期へと移行していく。⤵
繰り返し


結婚していなくても、独身同士のDVもある。

安定期の時に、もうやらないと反省する相手の態度に心が揺れ、自分も元々好きな気持ちがあることから、相手が変わる事に期待し、信じようとしてしまう。
それが被害者がDVから逃れられなくなる怖さなのだ。

相手にDVの気配を感じ、結婚を前にしてから人に相談しても、周りの目上の人達から「欠点を見ないで長所をみないと」とか「結婚は我慢して添い遂げるもの」といった一般的な考えを話される事が多い。

なかなか、相手の本質を見抜く事も、見抜く自信もないので、結局自分で自分を説得してしまう。

今なら、もし、似たような理由で、結婚や交際を迷う人がいたら、自分が納得するまで待った方がよいと言いたい。

直感的に、相手にぞっとするような恐怖感、違和感を感じたら、どんなに優しく、優秀な人でも、その不快感に悩む時がくる。それに耐えていく覚悟ができるかどうかだと思う。

「結婚したら、変わる」「子供が生まれたら変わる」、なんてありえない。人の本質はかわらない。


本人が、変わりたいと思って、努力すればいいかもしれない。が、いつかは爆発すると思う。
 

うちの自己愛の強い夫は、最初は謙虚で、フットワークが軽く、賢そうで、好青年にみえる。

夫としても、男性としても、誰からも優しい良い人に見られる。それも活かせば、営業に向いているかもしれない。


だからこそ、豹変した時のショックは大きい。
顧客に対しては、あまり本性を見せる事はないが、同じ組織の中で、深く付き合うともうだめだ。

「この人、こんな面もあったんだ」と思われる位なら良いけれど、「騙された。あれは演技だったのか」と思う人の方が多いと思う。それほど、第一印象の良い人間なのだ。
自己アピールも上手い。

本人にすれば、それも自分なのだろう。騙そうとか思っている訳でもなく、自然に自分なりに神経を使って人と接しているつもりなのだろう。


そうであれば、もう一つの自分とのギャップがありすぎるという事になる。


本人は、自分に自己愛が強い面があるとは、全く自覚していないし、認めない。


自分を客観的に見つめるというのは、誰でも難しい。

人とトラブルになった時、相手から言われたり、家族から注意されたりして、「自分にはそんな所があるんだ、人はそんな風に思ってしまうんだ、」とちょっとは反省して考えてみたりするもの。


私も若い時は、なかなか自分の事を素直に見つめる事ができなかった。

年齢を重ねて、子供や親、職場や友人などから、言われた言葉に、何度かハッとする時があった。

今になってやっと振り返って、自分の未熟さに恥ずかしくなり、今までこんな自分を許してくれていた周りの人々に感謝する毎日。


モラハラをする人間には、そういった自分を振り返ったり、客観的に見つめる事はないのだろうか。

夫は、そういう話になると、

「もっと客観的に自分を見つめる癖をつけなさい」とか、「自分もついそれを忘れてしまうのですが、気をつける様に努力をしていますよ、」とか、人に指導をする。

それは、自身の考えではなく、以前私に言われた事を覚えていて、受け売りなのだ。

彼は、心を許した相手には、上から目線で話す。嫌な印象を与えている事に気が付いていない。


「その言い方、上から目線になっているから気をつけた方がいいよ」と子供や私からも注意されているが、即顔つきが変わり、「そういうあなたの言い方が、偉そうだよ。気をつけるのはそっちだ」と怒り出す。

なので、今では家族は言っても無駄と諦めた。


そのようにして、自分が痛いところを突かれると、その後、それをかれは他者にむけるのだ。投影というのか。

だから、やはり、自己愛の強い人は自分を変えようとか、反省するということはできない人格なのだろう。




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