りんごの嘆き

気が付けば人生の後半もだいぶ過ぎた。主婦りんごは嘆いてばかり。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わろう。



大雨による大災害…自分も過去に似たような体験も何回かあり、避難して家に何日も帰れなかった体験が(勿論夫は不在、他人事)あるので、テレビのニュース画面を見るだけで苦しくなります。お見舞い申し上げます。


これから暑くなり、どんなにかご苦労な事だろう。

帰る家があっても、そこには住めず、途方にくれる上に避難所での過酷な生活が続く。

大きな災害が、最近は多くの土地で起こっている。

救助活動、復興は、地方だけではどうにもならない。一刻も早く最大限の事をして国は助けてほしい。

今回初動が遅れていて、政府ののんびりしている感がイラついた。

水はあっという間に襲ってくる。地震も突然やってくる。

迷走神経反射の事をもっと詳しく書こうと思っていたが、もし、自分がまた倒れそうな時に地震がきたら、水害に襲われたら、と思うと、自分が助かる為にどうするかよりも、誰かに迷惑をかけてしまう事が心配でならない。迷惑をかけるどころか、人を助ける事をしたいのに。


一昨日、テレビのニュースで、記者がいまにも氾濫しそうな川の横で中継をしていた時の事だ。
警察が、立ち入り禁止のテープをはっており、その内側に入ると、今にも濁流に流されそうな恐怖を感じた。
すると、そこに若い男が二人侵入してきた。テレビカメラを意識しているのか、態度がヘラヘラしている。

そして、足を川の中につっこんで、ふざけだした。ちょっとふらつけば、間違いなくあっと言う間に流される。そんな状況の中で。

テレビを観ている人にウケるとでも思っているのか。その二人は、調子にのってきてやめようとしない。うろうろ川と道の境目を歩き周り、足をつっこんではまたうろつく。カメラに映るようにして。

記者は中継中で気がついていないが、カメラマンは見えていたはずだ。

「生中継で、人が川に流されていくのを見せるつもりなのか、そんな場面を観たくない、中継よりも、すぐに注意する方が先だろう」と思ってハラハラしていた。おそらくあの連中は、そういう人の動揺を予想して楽しんでいるのだろう。
こんな信じられない人がいる。その二人の他にも次々と入ってくる人が増えていた。
「考えが甘いよ。何かあったら、誰かに迷惑がかかるって事、思わないの?」と私は腹がたち、一人テレビの前で呟いた。

流石にアナウンサーの顔色が変わり、中継の終わりの方で「後ろの人たちに、声をかけて注意してください」と言っていた。

こういう自然を舐めた行動をする人もいるのだという事と、命がけで首までつかって老人を助ける一般人もいるという事、テレビで見ているしかない自分の無力さに悲しくなった。

東京では晴れていて暑くて、西日本でこんな災害が起こっているという事がピンときてない感じです。」と夜のニュース番組で言っていた。そうなのかと驚いた。

全ての人がそんな訳ではないはずだし、一般の人はそれでも仕方ないとしても、その陰で救援に向かう消防関係、自衛隊、などさまざまな動きがある事は確かだ。それでもまだ足りない状況。

国は、武器やお古の馬鹿高い戦闘機を買うより先に、災害対策にお金を回す方が先ではないか。

日本にいる限り、いつ自分の身に起こるかわからないのだ。地球がそういう時期に来ている。

どこかで災害が起きた時、自分の事として想像し、どう防ぐのか、対処の仕方や心構えを教訓にするだけでも違うと思う。という私も偉そうに言えない。これは自分に向けて書いた。





急にお腹が痛くなって、トイレに行って座ったらお腹が張ってきて苦しくなり、あれよあれよと言う間に気分が悪くなった事ありませんか?


お酒や炭酸飲料を飲んだ後や、便秘や下痢の時などではなかったですか?


私は、先日、久し振りにトイレで倒れそうになった。

久し振りだった。十年位は無かった気がする。十年前は、ビールを飲んだ後に急に腹痛に襲われ、トイレで倒れそうになった。最初に倒れた時は、産後だった。

今回は、ビールではないが、炭酸飲料を飲んだ後だった。
スカートのベルトをきつめに締めていたのも影響していたかと思う。

お腹が急に張ってきて、トイレに行っても何も出ず、苦しくなり、吐き気がし、手足の力が抜けていき、冷や汗がだらだらでる。
耳鳴りと目の前が暗くなる。ああ、倒れるなと思う。

酸欠だと思って、出産時に習ったラマーズ法?を必死で行う。(傷みや酸欠の時、ラマーズ法を真似ると痛みは和らぎ、脳に酸素が行く気がする。)

鼻でゆっくり息を吸い、口でゆっくり吐く。「とにかく脳に酸素を送らねば!」とそれだけ考える。


それでも気分は悪い。諦めずに呼吸をする。そばで誰かが見ていたら、何をふうふう言ってるんだろうと思っただろう。

まるで出産シーンみたいだ。

トイレで気を失うのは嫌だったので、何とかはいつくばって和室に行き、そのまま横になった.


目を閉じた。開けたらきっともっと気分が悪くなると思った。頭の中がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。
脳の血流がグルグル回る。脳がパニックになってる。呼吸は続ける。フーフーっ。

身体がふわふわ浮いてる感覚まで襲ってきた。耳も血流が悪いのか。過呼吸になってはいけないと思い、呼吸を普通に戻してみる。

首の後ろが温かくなっている。

冷や汗が凄い。服はぐっしょりだ。お腹は落ち着いている。目はまだ閉じたまま。

ふわふわ感がとれてきた。呼吸を落ち着かせ、目をそっと開ける。

すると再び軽い腹痛。今度は大丈夫かも、トイレにいってお腹を空にしたらいいかもと思い、ゆっくりトイレに戻る。

今度は嘘みたいに普通にトイレをすませた。お腹がすっきりして、さっきの現象は嘘みたいだ。

服を着替え、横になって休んだ。暫くうとうとした後は、すっきり目が覚めた。

脳の中を滅茶苦茶に血が流れ切った感覚。

言い換えると、運動不足だった脳を一気に全力疾走させて、脳のコリがとれたみたいな感じ?

最初にトイレで倒れた時は、産後の処置が悪かったとかで、その後遺症となる子宮の痛みが原因だった。

こういう倒れそうになったり、失神する症状は、「血管迷走神経反射」だという。


産後、初めて気を失った時は、悪い病気かと思い、色んな病院に行ったが、検査のたらい回しの上、異常なしだった。結局産婦人科に行きついた。

誰も「血管迷走神経反射」という言葉は使わなかった。

最近自分で調べて、これだ!と確信した。


 家の中を整理しながらこれまで縁のあった人々の色んな出来事を思い出している。

私が知っているのは、その人の長い人生のほんの一部でしかない。

人それぞれに色んなドラマがある。

幕の引き方も人それぞれ。誰にも予想できない。だからこそ、日々生きられる。

「生きているのは当たり前」「将来は」「老後は」
自分に未来が来ると信じ、夢を描き、不安に取りつかれたりしながらも、明日がくることが当たり前に思っていた若い頃もあった。

そんな私の若い頃に縁のあった叔母の話をしたい。


東京の叔母=トキ子さんは、2年前に人生の幕を降ろした。

私が東京で独身生活を過ごしていた時期、電車で1時間ほど乗って、トキ子さん宅に何回か遊びに行っていた。

トキ子さんは美人で、綺麗好き、仕事ができて、男勝り、冗談が好きでよく人を笑わせていた。
お酒も大好きで、宴会では盛り上げ役。

当時トキ子さんは、仕事関係で知り合い結婚したご主人と小学生の男の子、義両親と暮らしていた。

そんなある日、近くまで用事で行った際、立ち寄って見ようと思った。もう半年以上会ってなかったし、突然行って驚かせようと思った。

玄関のドアを開けたら、きっと笑顔で大きな声で「ひや~!びっくりしたわ。いらっしゃい!」と言って歓迎してくれるものと思った。

いつもそうだったから。

その時は違った。
ドアを開けたら、昼間なのにパジャマを着ていて、髪はくしゃくしゃで、目に力が無いトキ子さんが立っていた。

そして「誰?」と言ってぼーっとした様子だった。

名前を言うと「あ、そうね。あなただったのね。ああ、あのね、私病気なの…」とかすれた弱々しい声で叔母が言った。


トキ子さんは鬱病になっていた。私は知らなかった。親族は皆知っていたのだが、母が私には教えていなかった。

私が同じ東京にいて付き合いがあるのに、隠したところでどうなるんだと腹がたった。私に対しての世間体らしかった。自分の妹が精神科に通う事を知られたくなかったという。???

母のそういうつまらないおかしな見栄は、娘に対してまで?その後も色々あった。


叔母の様子に驚いた私は、そのまま帰ろうと思ったが、トキさんは家に招き入れてくれた。

その日は、きつかっただろうが、無理してテーブルに座り、話をしてくれた。

決して軽い病状ではなく、自死願望が強く出ている状態だと聞いた。時々親族が泊まりがけで来て、夜は紐で手をつないで横に寝て、トキ子さんを見守っているとの事だった。


いつの間にそこまで悪化していたのか、全く何も知らなかった私は、鬱病というものの怖さも初めて知った。

快活で、明るくサパサパした叔母からは、一番縁のない病気に感じたが、むしろそういった性格の人の方が、鬱病になりやすいと聞いた。真偽はわからない。誰でも性格は関係なくという事だろう。

何も知らない私に、鬱病と診断されるまでの自分の変化を詳しく話してくれた。

ぽつりぽつりとゆっくり。

「自分の言いたい事をこの家では言えないの。良かった、私の味方になってくれる人が来てくれて。」

みたいな事も言っていた。

お姑さん、お舅さんとも同居だったので、家事は助かっていたが、同居も病気の原因かもしれないとトキ子さんが呟いた。

この伯母は、それから長い年月、良くなったり悪化したりを繰り返し、やがて認知症になって、施設に預けられた。

息子が結婚後、同居して介護をしていたのだが、長い年月の介護は大変だっただろう。

特にお嫁さんは義両親を看取るまで頑張って、立派だった。義両親の介護をする為の結婚みたいだったと言ってもおかしくない。
当然、息子夫婦には何回も離婚危機があったそうだ。

その都度、トキ子さんの息子は「親のせいで僕には幸せは来ないのか」と嘆いていたという。


子どもの時に母親が病気になって以来、我慢する事も多かったと思う。蓄積されたストレスはかなりのものだっただろう。

介護中、「もう限界です。母をそちらに送りますからそっちで看てください。兄弟姉妹で世話するべきです。母はもういりません。」
ととんでもない事を親族に言ってきた事もある。そこまで言いたくなるほどのストレスだったのだろう。

勿論、親族はそんな事は受け入れられる余裕も体力もなく、しかし、息子の気持ちは受け止めてあげ、相談にのり、結果施設に預ける事で落ちついた。


鬱だけでなく、認知症もあった為、伯母は動きも鈍く、食べては寝るだけの別人の様になっていた。

亡くなってから聞いた事だが、トキさんの預けられた施設は、自宅から遠い県外で、(そこしか空きが無かったのだろうと思うのだが、)まるで家族に見捨てられた様な寂しい最後だったという。

預けられてから、一度も家族の誰もトキさんの顔を見に行く人はいなかった。

伯母が亡くなった翌年、息子が突然亡くなったとの連絡があった。
原因は聞いていない。母も教えてもらっていないと言う。


病気というものは家族の人生までも影響を与えてしまうので怖い。健康な時はわからないものだ。

「息子のお嫁さんは、しっかりしているから大丈夫」と聞いて、少し安心した。どんな苦労の連続だったろうか。義両親、旦那さんを看取り、今は大きくなった子ども達と静かに過ごしている。

話は戻るが、この伯母が鬱病を発症したきっかけは、トキ子さん本人から聞いている。

「結婚した事を強く後悔していたこと」だと、トキ子さんは自分で分析していた。






ミキさんがその後どの様に暮しているかはわからない。


ケイさんは、数年後、再婚して子どもさんが1人おられるそうだ。

ミキさんとのゴタゴタは、ケイさんとお母さんの心に今でも暗い影を落としているのは確かだと、友人が話していた。


思いがけない結果になって、お母さんは自分のした事を後悔しているのかなと、もう息子の結婚に口を出す事もないのかなと思った。


実際、今ではお母さんはケイさん夫婦と距離を置いているそうだ。

今度こそ、息子に幸せになってほしいと思う親心か。

と思っていたら、最近の情報が入った。

亜紀の娘さんがお年頃になり、恋人ができた。

娘さんが亜紀の両親(お爺ちゃん、お婆ちゃん)に恋人の話をすると、色々聞かれ、写真を見て、交際に猛反対されたそう。

会ってもいない彼氏の事を、学歴がどうの、職業がどうのと、世間体が悪い相手だと反対されたのだ。

娘さんは怒り、「孫の幸せより、自分の世間体しか頭にない爺さん、婆さんなんかとは一生縁を切る!」と宣言、それ以来本当に一度も亜紀の両親は孫と会えないのだとか。
それでも、まだ反対している亜紀の両親。


失礼な話だが、世間体にこだわるほど、亜紀の家は名家ではない。

いつも「お金が無い」が口癖で、古い狭いアパートに住み、その割にお金使いは派手。

普通の庶民。なぜ、世間体の為に子や孫の人生に口をだすのか理解できない。人を馬鹿にするほど、それほど高いレベルを要求できるほどの家柄ですか?と言いたくなってしまう。


そう言えば亜紀が「私はいち庶民だと思うけど、お母さんが、あなたはお嬢様育ちなんだからエリートと結婚しないといけないって言うのよ。どこがお嬢さまなのよ。私の嫁入り道具も、親には買うお金が無かったくせに。全部私が自分の貯金で準備したのよ。」と言っていた。

亜紀は、高学歴のエリートとは結婚していない。でも真面目で良い人と結婚して幸せになっている。

やはり、最初は母親が反対したらしい。親族が紹介した相手だった為、承諾せざるを得なかったという。

娘がそれでもうまくいったのだから、世間体なんて無意味だと気が付きそうなものだ。


確かに親の立場からすれば、子どもや孫が、安心して生活していける相手と結婚してほしいと願うのは当然だろう。
世間体という言葉が誤解を招いているのかもしれないが、ミキさんを傷つけた事や、まだ未来のある孫の相手の一部だけを見て決めつけ反対するのは、やり過ぎだと思う。


うちの夫みたいに、一見無難な好青年みたいな人に見えて、親も信頼した様な相手でも、豹変して最悪な結婚生活を家族に強いられる場合もある。

「あの時、夫の本質を見抜いて、付き合うのを反対してくれる人がいてくれたら良かったのになあ」と思う私は身勝手だな。


タイムマシンに乗って、自分の歴史を変えたいと思っても、結局ラストは同じでした、歴史は変えられないという事になりそうな気がする。







ショックな話を聞いた後で、引っ掛かっていた疑問が解決した。

なるほど、そうだったのか。ミキさんはどんなにか辛かっただろう。責任の重さはケイさんも同等なのに、ケイさんの世間体の為に(それも個人的に歪んだもの)なぜ、ミキさんだけが犠牲にならないといけなかったのか。

「結婚さえすれば全て解決」と、ケイさんのお母さんもケイさんも考えたのだろう。

2人には何の障害もなかったはずだ。家柄の違いはあったかもしれないが、そんな事は障害にはならないだろう。
結婚するなら子どもを産めば良い話だ。なぜ、子どもが結婚前にできた事が世間体が悪い事になるのか、理解できない。


私はこの話を聞いて、亜紀のお母さんを軽蔑した。ケイさんの事も。
優しい誠実な人だと思っていたのに、そんなひどい事をしていたなんて。

ミキさんの心情を想像すれば、全ての行動は納得がいく。

子どもを諦め結婚を選んだ時のミキさんは、決して納得できず、泣く泣くの事だったに違いない。

こんな非人間的な事をしていながら、ケイさん親子は何も無かった様に振る舞っていたわけだ。

ミキさんのトラウマからくる拒否行動は、「お嬢様育ちだから」と言う事にされ、彼女だけが悪いかのように世間には印象づけていた。ミキさんはこの事は口止めさせられていた。

亜紀のお母さんが、ミキさんが原因で体調を崩していたと当時亜紀から聞いていたが、因果応報ではなかったのか。

おばさんの考えは甘かったと言える。結婚さえさせれば、全てうまくいくと。責任をとったと。

予想が外れて、ミキさんの自分への執念が怖かったのかもしれない。お嫁さんの心と身体の傷に寄り添い、少しは後悔していたら良かったが、どうもそんな感じはしない。


ミキさんが、結婚してからできた子どもの存在を誰にも教える気がなかった、義実家と縁を切りたいと思ったのも理解できた。

私がミキさんなら、こんな風に考えたかも~~~~~

~~この出産は、誰もが喜んでくれる事だろう。
初孫だとか言って、ケイさんの両親も自分の両親も喜ぶだろう。何も知らない自分の親が喜ぶのはわかるが、ケイさんの母親は私の気持ちをわかっているのだろうか。

最初の自分の子どもは、この母親の個人的な世間体だけの為に悲しい結果となっていた。
この子の犠牲の元に、次の子どもが歓迎されるとかありえない。命の重さは同じだ。


同じ母親として、女性として自分の気持ちをわかって貰えると思っていた

私の存在は世間体の為の道具なのか。あの人に生まれてくる子どもを抱かせたくない。

ケイさんが母親の言いなりになっていけば、これからも自分の人生をずっとあの人に振り回される。
ケイさんだけは、自分の味方でいてほしい。

そう考えるのは当然だろう。そう思うと、全て謎が解ける。


結局、ケイさんとミキさんは縁を切る事になってしまった。

ミキさんの親が謝ったとかの話は、どこまで本当かわからないが、人を恨んで生きる人生は幸せではないと思うから良かったかもしれない。



 

その後、私も亜紀も結婚して引っ越し、すっかり疎遠になっていた。


今はもう年賀状のやり取りだけになっている。


なので、あれから年賀状や同級生からの噂で亜紀の様子は知る事はできたが、ケイさんの事は全くわからなかった。友人のお兄さんの事だし、わざわざ聞く事も無かった。


十数年経った頃、大学時代の別の友人から電話がかかってきた。同窓会の連絡だった。

色々友人たちの近況をお互い知っている範囲で教え合った。
亜紀の話題になった時、この友人から意外な事実を聞いてしまった。かなりのショックを受けた。

電話をくれた友人は、亜紀とはそれほど親しくはなかったのだが、亜紀と実家が近所で、お母さん同士が親しいのだそうだ。

ケイさんの事は、以前からお母さんを通じて全て知っていると言う。亜紀の前では何も知らないふりをしていたそうだ。

私は、あえて詳しくは知らないふりをした。


友人が、亜紀のお母さんの事を「見かけによらないのよ。あの事を母から聞いた時はがっかりしたわ。」と言う。

「あの事って?」と聞いた。

「亜紀のお兄さんの最初の結婚のゴタゴタ知ってる?」ときかれたので、私は知らないふりをした。

「本当にお嫁さんのミキさんは、可哀想だったわ。私彼女の気持ち、良くわかるわ。悪いのはケイさんとお母さんよ。私もあんなお母さんとは仲良くできないと思う。」と言う。


私の知っている情報では、「ミキさんの理解不能な強硬な態度が離婚原因」と思っていたので、この言葉には驚いた。

「なぜそう思ったの?」と聞いてみた。

「この話、私の母しか知らないと思う。もう昔の話だし、亜紀とも付き合いがないから話すわ。でも、ここだけの話よ。」友人の声が低く小さくなった。
そして、話し出した。

~~~~驚いた真実とは↓~~~~~

実は、ケイさんとミキさんは、おめでた婚だった。すぐに結婚をしようってケイさんはプロポーズし、子どもができた事も喜んだ。
しかし、ケイさんの母親は「世間体が悪い」と子どもを産む事に反対した。

「嫌です!産みます!」とミキさんは主張した。ミキさんは、自分の親に話しても、父親が反対して無理やり連れ帰らせられると思い、何も話さず、ケイさんと二人で頑張ろうと決意していた。
ケイさんは、自分の親なら理解があり、協力してもらえると信じていたが実際は違った。

それから毎日、お母さんはケイさんに電話して説得を続けた。

ケイさんは、優しいというか優柔不断で、強く親に言い返さなかった。お母さんはケイさんに、家族を養うのはまだ無理だとか不安な話をして、産むならミキさんとの結婚は許さない。結婚するなら親子の縁を切るとまで言った。

結局、当時まだ新入社員で、自分の力に不安のあったケイさんは、親の理解なしに結婚はできないと諦め、お母さんの気持ちを受け入れた。

ミキさんに、子どもは諦めるように言った。ミキさんはケイさんの裏切りに取り乱した。
ケイさんと結婚したいなら、子どもを諦めるしかないという残酷な選択を迫られたのだ。

実家に頼る気のないミキさんは、ケイさんを選ぶしかなかった。

その時、お母さんが横にいて、「気が変わらないうちにさっさとやりましょう」と言い、泣いて嫌がるミキさんをケイさんとお母さんが引きずって強引に病院に連れて行った。

~~~この話は闇に葬られていた。ケイさんとお母さんはその後何もなかった様に振る舞っていた。

ミキさんの気持ちが落ち着いた頃、結婚話が進みだした。というのが真実だった。

当時の亜紀の話は事実と違っていたのだが、おそらくあの頃の彼女も真実は知らなかったのかもしれない。



ケイさん夫婦の子どもが生まれていた事件を聞いても、そこまで深刻な友人の家の話を聞いていい物なのか、当時のまだまだ未熟な私には受け止めきれず、あえて聞き流す様な態度でなるべく感情移入しないようにしていた。


その後、私たちは就職したが、アパートを引っ越してお互い離れ、中々会えなくなった。


仕事が休みの日、久し振りに亜紀の新しいアパートに泊りがけで遊びに行った。

お互い仕事の話ばかりして部屋でくつろいでいると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

来訪者はケイさんだった。ケイさんは私を見ても特に驚かず、「やあ、久し振り!元気だった?」と明るかった。

亜紀は少し動揺していた。「お兄ちゃん、何か用事?」と追い返そうとしていた。

ケイさんは「お前が捨てると言ってた古いタンス、貰いにきたんだよ。」と言って、中に入ってきた。

「今じゃなくてもイイじゃん。友達来てるし」と困った顔の亜紀だったが、私は全く気にしない顔で「どうぞどうぞ」と邪魔にならない様に動いた。

「亜紀が引っ越しして家具を買い直したので、古い家具を全てもらう約束していたんだ」とケイさんが話した。1人用の小さい物ばかりなので、ひょいと抱えながら笑顔で私に声をかける。

「僕の部屋、何にもないから助かるんだ。お金かかるから節約しないとね。ほらこのシャツもスーパーで買った奴だよ。安い物でもちっとも気にしない。じゅうぶん。じゅうぶん。」
と快活に話すケイさん。


前に聞いていた事と正反対だったので、(高級家具とブランドの服しか置かないようにしたはずでは?)と思いながら、私はとぼけて、にこにこしているだけだった。


ケイさんが帰った後、亜紀が話し始めた。
「ばれちゃったから言うわ。お兄ちゃんは、あれから離婚したの。話がついたのはついこの前よ。新居は解約して、アパートを借りたばかり。結婚式で貯金も使ったし、お金無いからこうやって妹を頼ってきたというわけ。」

「子どもの事を隠していたでしょう。流石にそれはないと私の両親からミキさんの両親へ連絡を入れたの。あちらも何も知らされてなかったし、元々、娘と父親が険悪で実家にあまり連絡を入れる人ではなかったそうなの。こちらに対する態度なども話して、今後どう付き合っていくつもりなのかをミキさんに確認してほしいとお願いしたの。」

「ミキさんは、私たちとは一生付き合わないと頑固らしくて、お兄ちゃんは、そこまで自分の親兄弟を嫌うミキさんに疲れ果てていたみたい。

ミキさんの両親とお兄ちゃん夫婦と話し合った結果、離婚が決まった。娘が悪いのだと、あちらのご両親が頭を下げてきて、慰謝料も養育費もいらない、娘と別れてください。と言われたの。向こうも、孫は自分たちが育てるし、経済的にも心配ないから娘の離婚を望んでいたみたい。

親でさえ反抗的な娘に手を焼いてきた。こんな娘と結婚して大変だったろうって、お兄ちゃんに頭を下げたのよ。人ってわからないものね。」


やり直すなら若い方がいい。奥さんと子どもさんが何の心配もいらないなら、安心だし。と私も納得し、どこかホッとしていた。

「お兄ちゃんは吹っ切れたみたい。ミキさんと出会ってからずっと暗くて、人が変わったみたいだった。今は昔の明るいお兄ちゃんに戻ったから、これで良かったのよね。」

「でもね、お母さんがね、落ち込んでるの。孫をとられたとか、一生会えなくなったとか言って。」

初孫だったし、色々楽しみにしておられたのだろう。




(亜紀のお兄さんの)ケイさんとお嫁さんのミキさんのお話に続きがある。

ミキさんの逃亡騒ぎがあってから、亜紀のお母さんは体調を崩し入院した。

お嫁さんに嫌われた事のショックがきっかけだった。

別居しているし、祝福されて結婚式もあげて、まだ新婚なのにそこまで旦那さんの親を嫌うミキさんが理解できなかった。私の知っている亜紀のお母さんはそんな意地悪な人に見えないし、静かな優しい人なのにと不思議だった。

亜紀は「ミキさんはお嬢様育ちだから、やっぱり経済的にも辛抱してるし、うちみたいな裕福ではない家の庶民的な会話にもついていけてないのかも。方言で話す我が家に違和感あるみたいで。いつも表情が暗いし。」と愚痴っていた。

お母さんはその後退院されて、元気になられたと聞いた。

それからまた月日が過ぎ、ケイさんの話題は全く聞かれなくなったし私も聞かなかった。

ある日、学校に亜紀が物を置き忘れていて、一番近くに住む私がアパートに夜届けに行った。

ちょうど亜紀は電話中だった。

電話をきった後、私を部屋の中に入れてから、ゆっくり話し出した。

「今の電話はお父さんからなの。実はお母さんがまた具合悪くなって、救急車で運ばれたりして、今日手術したんだけど、無事終わったと今電話がきたところ。」

そんな事とは全く知らず、驚いた。
「実家に帰らなくても大丈夫そうだから、いつも通りに過ごす」と言っていた。

「実はね、お兄ちゃんの問題で、また色々あって、お母さんはそれでずっと体調崩しがちなのよ。」
と、またケイさんの話題になった。あれからまた何かがあったようだ。


「お母さんは、どうにかミキさんの気持ちを聞きたくて、あれからまたお兄ちゃんちに行ったみたいなの。前もって連絡すると断られるから、いきなり夜に訪ねていった。そしたらね、赤ちゃんが生まれていたのよ。夫婦で赤ちゃんの身体を洗っていたの。慣れない手つきで二人がかりで。」

「ミキさんは自分の親にも私たちにも子どもの事は秘密にしていたの。内緒で産んで、産後の世話はお兄ちゃんがしていたみたいだけど、二人共初めての事だから大変だったみたい。
お母さんはそんな状況を目にして、泣いてしまったのよ。

そこまでして、実家と縁を切りたい理由がわからないと嘆いていて、そんな事を息子が望むはずもない、嫁にあわせて、孫にも会わせないとか悲しすぎるって。」

「今まで、我慢していたお母さんも、孫の存在まで隠そうとした息子に対して怒っていた。何でもかんでもお嫁さんの言いなりになって、息子が本当に幸せとは思えないって。
子どもが生まれたよって私たちに言いたかったはずだと思うけど、奥さんに止められて何もかも自分で背負う事になってしまった。」

その後、亜紀の実家からミキさんの実家へ連絡が行き、孫が生まれていた事が伝わった。
ミキさんのそれまでの行動も伝えられた。




 

ケイさんが結婚して1年が過ぎた頃、私は亜紀のアパートを学校の用事で訪ねた。

実家のお母さんが来られていた。挨拶をしたがいつもと様子が違っていた。

私は帰ろうとしたが、引き留められた。

亜紀とお母さんは無理に笑顔を作っている気がした。居心地が悪くて私はテレビを見るふりをした。

無理に笑ってもすぐにお母さんは暗い表情になる。いつもは色々話しかけてくれるのに黙っている。

そこへ電話が鳴った。亜紀が電話をとり、「えっ!見つかったの?今から行くわ!」と叫んだ。

「ごめん、今から母と出かけないといけないの。また今度ゆっくり話すわ。」と言われ、私も一緒にアパ―トを出た。

亜紀とお母さんは、切羽詰まった顔で飛び出して行った。ケイさん夫婦に何かあったのかもしれないと何となく感じた。

私は何も感じていないふりをし、何も聞かなかった。

後日、学校で亜紀が話しかけてきた。

「この前はごめんね。実は、お兄ちゃん夫婦と連絡がとれないと、お母さんが心配してこっちに出てきたの。私が電話しても出ないし、二人で兄の家まで行ってみたの。

そしたら兄夫婦はいたんだけど、ミキさんが私たちの顔を見た途端、家を飛び出してしまって行方不明になってたの。私たちの事が嫌いみたいなんだけど理由がわからなくて。母がショックを受けてあれから元気がないの。」

と説明してくれた。

なぜミキさんがそこまで義実家を嫌うのか、結婚を一時的に反対されたのを根にもっているとしても、結果的には祝福されて結婚できたわけだし。
私には理解できなかった。




昨日久し振りに思い出した人の話。
主人公は、友人、亜紀のお兄さん=ケイさんの遠い過去のお話。

当時、亜紀からケイさんの話題は聞いていたが、人さまのお宅の事情に興味の無かった私は、ただ聞き流していた。亜紀も、そのせいか、全ては話さず、断片的に口にしていた。

かなり年月が経ってから、別の人からケイさんの結婚の詳しい真実を聞き、ショックを受けた。当時、無関心で亜紀の気持ちに寄り添っていなかった事を反省した。


☆では、ケイさんの結婚について話そう。~~~~~~~

ケイさんは、地方から東京の大学に入り、卒業後そのまま東京で就職した。

学生時代にアルバイト先でお客として出入りしていた女子大学生のミキさんと恋愛をした。

ケイさんは、地方の公務員の息子。ミキさんは、有名企業の経営者のお嬢様だった。

ミキさんも一人暮らし。ミキさんの方が熱心にアタックし、ケイさんのアパートに入り込み、同棲をする形になった。

お嬢様なので、お金の使い方も生活ぶりも違っており、ミキさんは世話をやくタイプというよりも、してもらう方、なのでお金以外はケイさんに甘え、頼りきっていた。
ケイさんも、仕送りの多いミキさんに頼る事もあり、お互いに依存しあっていった。

ミキさんは、父親を極端に嫌っていた。交際がばれて、もし反対をしてきたら「親と縁を切る」と言っていた。

大学を卒業後ケイさんが就職すると、ミキさんから結婚を迫られた。彼女は就職せず専業主婦になろうとしていた。

お互いに親族への挨拶を交わしたのだが、両家が反対した。

ミキさんの家では、相手がまだちゃんと稼いでないという事、親が選んだ似たような家柄の人と結婚させたい。娘は所得の少ない生活に耐えられるはずがない。苦労させたくないと。

ケイさんの親は、ミキさんは、経済的な価値観が違うし、働く意志もなく、息子が養えるだろうか、まだ若すぎるのではないかという心配をしていた。

ケイさんは冷静で、一旦延期しようかと考えたが、ミキさんがヒステリックになり、今結婚をしてくれないと何をするかわからないぞ、親子の縁も切ると言いだした。

ミキさんは、ケイさんの親が反対した事を恨み、ケイさんの親族に会っても睨みつけ、誰とも口を利かなかったという。

両家共、激しい反発をするミキさんの態度に負け、結局結婚を許可した。

やはり、式場や引き出物など、女性側の希望のレベルが高く、亜紀の両親は大変だったらしい。

「昨日、母と私とミキさんとミキさんのお母さんとランチに行ったの。ご馳走しますからぜひと誘われて。」

「そしたら、高給レストランで豪勢なフランス料理で緊張したわよ。これがランチ?と思ったわ。母なんか、おどおどしてるから恥ずかしくて怒ってやったわ。ああいう時は、堂々としないとみっともないわよね。」

「こっちは慣れてないから、味も良くわからないけど、向こうはいつもの事みたいで慣れているんだよね。お兄ちゃんは大変な家の人と結婚したんだなあ。と感じたわ。」

と心配そうに話していた。それだけではない。

「新居に行ったらね、家具が凄いの。お兄ちゃんが学生時代に使っていた物は全部人にあげたり捨ててあって、家具は全部高級家具になっていたの。お兄ちゃんの服もよ。
今まで近所のスーパーやお店で買っていたけど、捨てられて、ワイシャツにしても、デパートでブランドの高い物に全部変えてあった。

ミキさんが安物は駄目だと言って。お兄ちゃんは、安月給だからそんなの買えないし、これからどうするんだろう。ミキさんの親に甘えていくなんてそんなの嫌なはず。」

「自分もミキさんの義妹としてうまくやっていけるのか心配」と、亜紀は不安気だった。

最初は「お兄ちゃんがお金持ちの令嬢と結婚した」と、自慢しているのかと思って聞いていた。

会うたび、心配そうに愚痴る事が増えていた。

相手の親の企業が、大物政治家もだしている超有名企業だったので、そこのご令嬢だというだけで、何だか怖いなと私は思っていた。



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