りんごの嘆き

気が付けば人生の後半もだいぶ過ぎた。主婦りんごは嘆いてばかり。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わろう。

頭の中が変な感覚をひきずりながら、パートに行く毎日。

ある日、M子さんが珍しく寄ってこない時があった。

「ごめんね。ちょっと用事があってお昼は一緒にいられないの」と言って、1人でこそこそとどこかに出て行く。誰も気にしていないが「私を放っといて。見ないで。」と言いながら。

ごめんねなんて言わなくてもいいのに。私は開放感でいっぱい。

M子さんはいつもと違い、口数も少なく、顔が更にしかめっ面になっていた。
家で何かあったのだろうか。大変そうだもんな。と思い、何も聞かずそっとしていた。というかそのまま彼女と離れてしまいたかった。


休憩時間は、自由に延び延び過ごしていた。
すると社員の女性が寄ってきて、私にこう言ってきた。

「相談があるんです。M子さんが女性社員を最近睨み付けてくるんです。挨拶しても無視するし、大事な書類も提出してくれなくて困ってます。理由がわかりません。何故そんな事をするのか聞いてもらえませんか?」

という事だった。
全く気がつかない事で、私に言われても~巻き込まれるの嫌だなあと思いつつ、協力はしますと返事した。女子社員と接触する時間はほとんどないし、トラブる機会もないはず。不思議だった。



あまりM子さんと話したくなかったが、頼まれてしまったので、理由を聞くタイミングを探していた。

すると、M子さんの方から「ちょっと話があるの」と言って、思い詰めた風に寄ってきた。


M子さんは、話し出した。
「実は、私、この会社の女性社員たちから虐めにあっているの。最初は勘違いだろうと気にしないふりをしていたの。でも、毎日確認していると明らかに私を悪意を持って見ていると確信したの。」
と、まるで舞台の上の女優みたいに?悲しそうに話す。


男性の前の態度もそうだったが、M子さんは、動きが演技っぽく見える人だった。


でも本人はわかってなくて、その世界に浸っている。この時も、職場の様子から判断しても、何を虐めというのか理解できなかった。

M子さんも私も、朝から帰るまで社員の人との接触は昼休みくらいしかない。たまに書類や社内回覧を持ってきてくれたり、こちらでわからない事があれば聞きに行く程度。仕事中は時間との戦いだから、人の事を構う暇はない。


ロッカーもパートさんは部屋が別。いつどうやって虐めをするのか。そんな事を何の為にするのか。どう考えてもありえない環境だった。というか若い独身ばかりの社員さん達は、主婦パートには関心がなさそうだった。

M子さんは、まるで思い詰めた女子高生みたいに、「どうして私はいつも不幸なの」と自分の世界に入り込んでいた。

何があったのか、なぜそう感じるのか聞いてみた。

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M子さんがまとわりついてくるのはストレスだったが、家に帰れば夫がストレス、子どもの学校の問題、悩む事だらけで、ホッとできる場所が無かった。

逆に、会社では夫の事は忘れられ、家ではM子さんの事なんて全く考える暇もなく、そういう意味では気が紛れていたとも言える。

次第に頭痛がしてきて、帰宅するとあまりの痛さにそのまま寝てしまっていた。30分ほどで起き、夕飯を作っていた。


そんな時、実家から母が遊びに来た。こんな時だったので、「もう少し落ち着いてからにしてほしい」と断ったのに無視してやってきた。

私を助ける為に来てくれる時もあるが、この時はそうではなかった。

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私は仕事を休むと翌日が大変な事になり、体調も良くなく、ストレスマックスだったので、本当に困った。母が家事を手伝うなら逆に良かったが、この時は、母は遊びでやってきて、何もせず私に案内しろだの、仕事は休めばいいと言い出した。



弟に対しては絶対こんな事はしない。


私は夫にも気を使う。母は、娘は自分の道具と思っている。全く私の立場や仕事の事をわかろうとしなかった。パートなんてたいした仕事じゃない、と職業まで差別する人だった。


私はずっと不機嫌だった。早く帰ってほしいと思っていた。


すると母は、勝手に弟夫婦まで呼び寄せていた。


いつのまにかこっそり電話をしていた。
「あなたたちも来なさいよ。」と誘ったらしい。遠慮している弟に対して、私が来て欲しがっていると嘘までついていた。

私は怒った。すぐに弟に電話をして、断ろうと思ったら、もうすでに近くまで来ていると言われあきらめた。母はにんまりしていた。


結局私は2日連続で仕事を休んでしまった。

3日めには仕事に行ったが、朝も晩も大変なのは私だけ。
案の定、仕事は溜まりまくり、上司にも心配されたが、仲間が少し手伝ってくれており、救われた。



夫は失業中だったので、バツが悪く、うまくご機嫌をとりながら、3人を接待していたが、内心不機嫌だったはずだ。「何でこんな時に来るんだよ。嫁の親なのにずうずうしい」と。
その夫からの嫌がらせが後から私に降りかかろうが、母は知っていても気にしない。


母も弟夫婦も誰も家事を手伝うことはなかった。朝もご飯の準備ができてから、全員のんびり起きて来た。布団の上げ下げまで私がやっていた。


腹がたち、母に文句を言った。
「私は仕事を休んだから大変な事になってるのよ。勝手に弟夫婦まで呼んで、迷惑でしかないわ。何考えてんのよ」と言ったがふふんと笑っただけで母は満足して帰って行った。



だが、この時以来、夜は眠れなくなり、とまらない頭痛、夫の勝手な行動、M子さんの存在、母への怒り、生活の不安、で私の頭の中が興奮状態になっていた。

脳の上を水が垂れている様な、変な感覚がしてきた。


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当時は、毎朝会社に着いてから朝礼が始まるまで、M子さんは私にいつもくっついていた。
1人でずっと何か喋っている。自分の事を。
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自分の過去の話もしてくるが、私の話は聞こうとしない。その過去の話も次第にどこまで本当なのかなと疑わしく思うような内容だった。
ただ、誰かに聞いてほしいのだろう、喋ることがストレス発散なのだろうと思った。
           

私としては、気の合う人は他にいて、もっと他の人とも話したいのだが、M子さんは割り込んできて邪魔をしてきた。
この土地に引っ越してきたばかりの私は、方言がよくわからず、時々その意味を聞き返す事があった。

ほとんどの人が、方言はあまり使っていなかったが、M子さんは、私の前では素をだすので、方言で早口で話す事が多かった。

私も早く土地に慣れたくて、方言も覚えようと思った。M子さんが、難しい方言を使った時に「今の○○というのは、どういう意味か教えて。ここの○○弁だよね?」

と聞いてみた。すると
「え?そんな言葉使ってないわよ。私、方言なんか知らないわ。それにその言葉は標準語よ。」と急に言葉使いが変わった。


方言と言われて、ムキになっていた。
「どうして?○○弁とてもいいじゃない。早く覚えたいから聞いただけよ。」と言っても顔がひきつったまま。

M子さんは、馬鹿にされていると思ったのだろうか。地元で誰もが使っている言葉だし、堂々と使って当たり前。馬鹿にされると思う事がとても変だよと思った。


私は自分も地元で方言使うし、馬鹿にされるとかされたと思った事もない。むしろ、教えてと言われてどんどん友人に教えた位だ。

M子さんの価値観は、そうなんだろうな。”都会的、お金持ち、男性に好かれる、”それがM子さんの行動から見て、彼女の人間的価値なのかなと感じた。


ある時、私の子どもはまだ小さかったが、M子さんにこんな事を言われた。
「近くに高校がいくつかあって良かったわね。通うのが楽ね。しかもランクの低い学校ばかりで良かったわね。お宅は難しい学校は行けないでしょうからね。私の甥っ子は、頭が良くて△高校なの。家から遠くて通うの大変みたい。」

何も我が家の事を知らないのに、勝手に決めつけて話す事に驚いた。
M子さんはとにかく相手の顔も見ないで1人事みたいに喋りっぱなしなので、何かにとりつかれたようなのだ。

もっと驚いたのは、私は子どもがおり、M子さんは子どもをこれから産みたいと思っていた時。

欲しいがご主人が協力してくれないとか、そんな愚痴もよくこぼしていた。

それは私も素直に聞いていた。するといつのまにか私まで「子どもができなくて悩む主婦」に設定されていた。
M子さんに言われたのだ。
「私はまだ若いから可能性あるけど、あなたは歳からいってもできにくいから大変ね。子ども欲しいでしょう?可哀想に。」

え?子どもがいると知っているのに?これは変!
「いや、私子どもいるし、もういいし」と言ったところ、M子さんは、目をそらし聞こえないふりをした。


M子さんがストレスになってきた。避けたいのに避けられない事が苦痛になった。


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社員の男性達は、全員既婚者で、落ち着いた感じの人ばかりだった。


その中に、朝礼のスピーチで、毎回沖縄について問題提起をする人がいた。沖縄出身で、当時から「もっと基地の問題を日本人皆に関心を持ってほしい」と話していた。


パートさん達も、社員の人たちも、興味なさそうに誰も話題にしていなかった。

昼食を外で食べようと数人のパートさん達と一緒に社外に出た時、男性社員数人とたまたま一緒になる事があった。

その中に、沖縄の話をした人がいたので、私は歩きながらその人に話かけた。「沖縄の問題、私も興味ありますよ。沖縄には友人もいるし、話は聞いています。」と。

「そうですか!」と言って、その人が私に沖縄の話をしようとしたその時だった。

「●●さぁん!見いーっけた!」と言ってニコニコしたM子さんがその男性に近づいてきた。


振り返ると、アイドル風な「うふっ♥」と言った感じの子どもみたいな表情と動作をしたM子さんがいた。

ハッキリ言って、M子さんにアイドル風は似合わない。


普段の姿と違い過ぎる。いつもしかめた顔で歩く人。この時は、ぴょこぴょこと身体を揺らして、手を可愛くまげてポーズを作る。

しかめた顔よりも可愛らしくする方が感じは良いが、でもとても違和感がある。

親しくも無い、仕事以外で話した事もない相手に「見いつけた!」と言って、べたっとくっつく。

男性社員も違和感を感じた様で、彼女を無視し、真剣な顔で私の沖縄の質問に答えてくれようとした。

お店まで歩きながら話すので、時間も無かった。

なのに、再び「ねえー。○○さあんてば。お昼一緒に食べましょう。どこにしますかぁ?」みたいな、一段高い甘えた声で、彼の話を遮った。

私は、M子さんに抵抗してまでそこで話す気もなかったので、彼とM子さんから離れて「また今度。」と言ってさっさと前を歩く事にした。


M子さんはその社員にお昼ご飯を食べる時も隣にくっつき、店を出てから会社に戻るまであの調子のまま離れなかった。

私はわざとその集団から離れて歩いた。


その後、M子さんは男性なら誰にでもこういう態度をとっていた。

普段、退屈になると私にくっついてきて、しかめた顔と低い声で、「全く家の爺さんが!」「早く出ていけと言いたいよ」などの愚痴を吐き出していた。アイドル風のM子さんとはまるで別人だった。



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私にターゲットをしぼったM子さん。私より10歳若く、子どもさんはいなかった。

とにかく良くしゃべる。隣に来てずっと話しているので、私はただ聞くだけ。

「最近家を建てて、ローンが大変なのに、1人暮らしの義父が突然同居してくれとやってきた。旦那さんは抵抗したが帰らない。調べたら義父は借金まみれで、実家も売り払っていた。
子どももいないし、昼間家にいても義父と二人は苦痛だし、家政婦扱いだから仕事にでることにした。」と言う。

毎朝、私に昨夜はこうだった、と愚痴をこぼしていた。

私は、いつも聞き流すだけで、自分の家の事はいっさい話さないので、平凡な幸せな奥様と思われていた様だった。
色々聞かれるより、良かった。

M子さんの席は私の隣。仕事は、てきぱきしていた。


わからない事は担当の社員にその都度聞きにいく事にしていたが、M子さんがなぜかついて来る様になった。


そして話に割り込んでくる。

休み時間、私が他の人とお喋りしていても割り込む。私に話をさせない。


それまでしていた話題とは関係ない自分についての話ばかり、始める。
話の中心になっていく。


その後、周りに人がいなくなると、私に寄ってきてまた家の愚痴を話し始める。

「最近は義兄まで、家に入り込んできたのよ。しかも彼女まで一緒に。その人私より年上で、住む家も無い浮浪者みたいな人なのよ。ご飯も私が作るのよ。食費も私たち夫婦が負担しているの、もう耐えられない!早く出て行ってほしい。でも、義父が息子が可哀想とか言って、ひきとめるのよ!私たちの家なのに!」
と訴える。


「子どもも作りたいのに、これでは益々できないわ。ただでさえ、旦那が作りたがらないっていうのに!」とよくこぼす。

どうやら、ご主人の事は大好きみたいだが、ご主人から愛情表現が無い事にも不満が溜まっている様子だった。
確かに家がそんななら大変だなと同情はしたが、M子さんを見ているとどうもその大変さが伝わらないのだった。

お金持ち風奥様パートさんと、子どもの学校の話をしていると、会話に割り込んできて、「私もブランド好きなんですぅ。いつもお買い物に行ってるの」と言って、「私もセレブなんです」アピールしてきた。私に背中を向け、絶対にお金持ち風パートさんと話させないぞという体勢をとる。私が言葉を発すると、上から声を出して消し、聞こえないふりをする。

M子さんて少し変わってて、面白い人だわ。こんな人初めてだ。この土地には面白い人がいるのね。

家が大変なのに、パワフルで凄いわと思っていた。



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昔の職場の話に戻ろう。IMG_3610


知らない土地に引っ越してすぐに始めたパート。


新規部署だったので、一斉採用で、数人の主婦が一度に採用された。


オフィスには、若い女性社員たちとおじさま社員たちがいた。



私たちの仕事は若い女性社員が教えてくれた。

結婚してからのパートは、営業の仕事が多かった私にとって、久し振りのデスクワークだった。と言っても、一日に与えられるノルマみたいなものがあって、毎日上司に成果をチェックされ、競わされて、結構神経を使う仕事だった。


同期のパートさん達は、皆私より年下で、シングルマザーもいたし、エリートご主人の奥様風な人、新婚さん、義両親と同居で忙しい若い奥さん、などそれぞれ個性的だった。


私と仲良く接してくれたのは、若いシングルマザーだった。離婚したばかりで、心の傷も癒えないまま、赤ちゃんを抱えて頑張っていた。鬱になり、まだ薬が離せないと言っていた。保育園から電話が何度もかかってきて、早退する事もよくあった。とても魅力的な素敵な女性だった。

不思議なのは、女性社員は休み時間も団体で行動しており、パートの人とは話そうとしなかった。

お昼休みは、休憩室の中が、はっきり二つの集団に分かれていた。

それも次第に社員の女性から声をかけられる様になり、お昼には一緒にお弁当を食べる機会も増えてきた。
それと同時に「あのパートの人派手ね」とか「課長と昨日2人で飲みにいったらしいわよ」とか色々噂や陰口を言い出す人もでてきた。


私は、そういうつまらない事は見て見ぬふりして、気のあう人達と、職場だけの付き合いと割り切って過ごしていた。
それなのに、同期の1人が私の平和な人間関係に入ってきた。良く言えば、私と仲良くしたがり、執着してきた。



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学校での虐めは、転入生虐めだった。

私は仕事に慣れる事と、(事なかれ主義だった)学校への相談などで、ホッとする暇も無かった。

夫は他人事の様に、知らん顔をしていた。

ある日、疲れ切った私が「父親ならもう少し子どもの心配位したらどうか、転校させたのは親の都合なのだから。」と言った。


夫は急にわざとらしい、演技っぽい行動をする様になった。

仕事は探していないのに、探すふり。
虐めの心配していないのにしているふり。


その時から夫がちょっと変人だと私は感じ始めた。

変わっているという意味は、自分の感情が無い事を人真似や演技で誤魔化す事だ。だから行動が不自然で場違いで、人には何を言いたいのか理解できない。


この時も、私に言われた途端、急に学校に対して怒りだすふり?をした。

その数分前までは「いじめなんて気のせいだよ。学校が無いと言うなら無いんだよ。」とヘラヘラ笑っていたのに。

人に言われてもしかしたら(こういう時は、怒るものなのか?怒らないと駄目な父親と思われるのか?)と思って、何の感情も無いのに、あるふりをしなくてはと思った様だった。

心に無い事を言うから、訳がわからない。


そうじゃないでしょ、ずれているよ、と言いたくなるような事を学校に電話して言う。
教師も、このお父さんは何を言いたいのだろうと戸惑っていた。

結局最後まで私が対応した。

「もういい。黙ってていいから。」と結局なってしまう。


子どもからも頼まれた。「お父さんが先生に言う事が意味がわからない。恥ずかしいからもう何もしないで」と。

テレビなどで、子どもが事件や事故の被害者になったお父さんの記者会見や、取材を見た時、いつも思う。
ああ、皆さん、まともな普通のお父さんだなあ、立派だなあと。


うちの夫が、同じ立場になったとしたら(なってほしくないが)訳のわからない事を、しかも薄ら笑いを浮かべて言いそうだ。
父親として自然にわきあがる悲しみとか怒りなど持てない人だから、演技しても伝わらないだろう。

うまく言えないが、夫は体験で人真似をし、演技パターンを覚え、同じ場面があるとそれを繰り返す。言葉もそう。


だからいつも同じ態度、同じ言葉を言っている。全て人の真似だ。
やめてほしいのは、人真似なのに、自分の言葉の様に人に説教するのだ。コンプレックスだからだろう。ずれているから恥をかくだけだ。


自分の過去の職場の話をするつもりが、夫の事を思い出し、また書いてしまった(笑)。

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当時、たまたまある大手の信販会社が新規部署を立ち上げ、パートを募集していた。

運よく採用してもらえた。扶養範囲内で月8万を超えないように会社の方で勤務時間を決められていた。残業ができないので、決められた仕事を必ず時間内に終えなければいけなかった。

もし、子どもの病気などで休んだりすると翌日の負担が半端なく、慣れないうちは大変だった。

でも、収入を得る事ができた事で、少しは心が落ち着いた。


だが、それを裏切る夫の無責任さに驚いた。

毎日遊んでおり、次の仕事を探そうともしなかった。


子どもを転校させ、私の仕事も辞めさせ引っ越し作業も費用も私に押し付けていた夫。

口では「今から高収入になるいい仕事がある。あなたも仕事をしなくてすむ。もう大丈夫だ。」と言っていたが、嘘だった。



勝手に仕事を辞めた夫は、毎日遊んでばかりいた。

全く生活費も心配もせず、楽しそうに車で出かけていた。


何もわからない土地で、私も子どもも戸惑った。

が、必死で馴染もうとしていた。そんな気持ちも努力も全くわかっていなかった。家族の方を見ていなかった。
なぜ無理やり引っ越しさせたのか、不思議でならない。


最初から辞めるつもりだったのを隠して、嘘をついて引っ越ししたのか。

自分の世話をする人がほしくて、生活費も作ってくれる人、つまり私がいれば楽ができると思っていたのだろう。


表向きは、「家族と一緒にいたい」とか、「子どもの為」とか言っていた。
現実は自分の為だった。

(今では家族からも逃げだしているが。)


夫には「早く次の仕事を探してもらわないと生活ができない」と訴えた。すると
「何様だ?旦那が働けない時は女がお金をどこからか作ってくるもんだ!」と怒鳴ったのだ。


「働け無い時は」って、違うだろう、働かない、遊びたい、ヒモになりたいだけの人に言われたくないわ。と思った。


だいたい、そういうなら、私の仕事を辞めさせなきゃ良かったのだ。正社員になろうとしていたのに、嘘で無理やり辞めさせた夫。そういう後先考えない適当なところは、仕事でも同じなのだろう。

その時、もやっとしていた夫の本質がはっきりと現れた場面だった。

それまでは、何とかかんとか言い訳しながらまだ、家族を養うふりをしていた。

だが、この時、私がパートだったのが気に入らなかったのか、

「子育ても家事も女の仕事、稼いでくるのも女の仕事、旦那が何をしようと、我慢し、尽くすのが良い女で妻というものだ」
と言い出した。


これは、結婚前の夫とは全く別人の様な言葉だった。そして何かにつけ「お袋が言うには」「お袋が正しい」と言う言葉が出た。まるで教祖様がこう言っているだぞみたいな。自分の考えの無い人間だから、義母のあやつり人形みたいだった。


こんな最悪な状態を隠しながら、新しい職場に行き、家庭の事を色々聞かれるのが辛かった。

そうしているうちに、学校で子どもが虐めにあっている事がわかった。


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自分の仕事の話題は、身元がばれそうなのであまり書けないのだが、だいぶ前の話なら大丈夫かな。

私は夫以外では、有り難い事にさほど深刻な人間関係に悩んだ事は無かった。

あったとしても、誰にでもある、その人との相性が良い、悪いのレベルだと思う。
(私が鈍いところもあったりして?)

夫との事に比べれば他人との関係なんてどんなに楽に感じるかということかもしれない。
ご近所付き合いもさほどうるさく無いし、苦手なママ友からも解放されて気楽になった。

強いてあげれば、だいぶ過去の話だが、この人苦手。あまり関わりたくないなあ、と思えた人がいくつかある。思い出すのは、今の土地に引っ越してきて最初の職場。


子どもは転校、私は、正社員にしてもらう話があった会社を辞めて夫の転職の為に引越してきた。

すると夫はその会社もすぐに辞めてしまったのだ。
この時も、夫の大ホラ話に騙された。

夫への怒りで毎日、夫婦喧嘩していたが、夫は話をはぐらかし、毎日遊んでばかりだった。

この時の私は、ストレスで体調に異変が出始めていたが、すぐに仕事を探さないとと焦っていたのだった。

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映画”ボヘミアン、ラブソディー”を観てきた。

レイトショーで観たのだが、いつもなら空いている事の多い映画館も満員だった。

私は小~中学時代から洋楽が好きだった。と言っても、ビートルズ一筋。

本気ではまってしまった時は、ビートルズはもう解散していたし、自分よりずっと年上の大人と言う遠い遠い神様みたいな人達だった。
ビートルズを聴きたくて、ラジオで洋楽を流す番組ばかり聴いていた。

その中にクイーンがいた。


クイーンは、まだイギリスでまともに評価されていない頃、当時シンコーミュージックの東郷かおる子さんが日本にクイーンを紹介した。


若い女性記者が、1人で海外のミュージシャンを取材し、ミュージックライフという月刊誌に記事や写真を掲載していた事が、田舎の夢見る女子高生の私にとって、最高の憧れと目標になった。


ビートルズ来日の時、インタビューをしたのは、同じシンコーミュージックの星加ルミ子さんだった。
絶対に私もシンコーミュージックの記者になりたいと夢を持ったものだ。

女性がここまで活躍できるのだと。自信も無く、諦めてばかりの自分に夢をもらった。

大学を卒業後、残念ながら地方出身者の私は、「自宅通勤者に限る」という当時の採用条件でこの会社を受験する資格が無く、音楽とは全く関係の無い商社に入った。

ボヘミアン、ラブソデイーを観た事で、色々懐かしい事を思い出してしまった。

クイーンを知らない人でも関係無く楽しめる映画だと思う。若い人にもお薦めしたい。

一つの作品として質の高い映画だと思う。実話だと思うと更に感動が増すのだ。

まず、音楽がいい。当然だけど。

仮にロックが苦手な人でも、クイーンなら抵抗ないのでは。
クイーンの音楽って、日本人に合う気がする。だから日本で最初に火がついたのも頷ける。

劇場でしか味わえない音響も楽しんだ。それが目的だったと言ってもいい。

人から「ラストは泣いた」という感想を聞いて、「ファンじゃないのに泣くの?」と思う人も、おそらく泣くはめになる事だろう。(笑)

アーティストにとって、人生と作品は一体化しているのだなあと再確認し、クイーンの名曲はフレディの心の叫びから産まれたんだなとわかると、涙が勝手に出てきた。


ふいうちを食らった気がした。また何度でも観に行きたくなってきた。

次はじっくりと楽しみたい。ストレス発散の為にも。

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